宇山卓栄氏「ローマ皇帝は、キリストの教えを改ざんして利用した」& ローマ皇帝はミトラス教徒!?

レビ族

2025-10-26 01:01:18

宇山卓栄氏の、世界史講座の広告で、
キリスト教聖書が、ローマ皇帝によって改ざんされていたことを知りました。

ローマ皇帝が、キリストの教えを改ざんしていたとは!

こちら↓の直観は合っていたのかもしれません^^

聖書は人々をコントロールする書物?& 神の化身は法と正義を守る & 宗教法人と脱税 & 廃金山 | 

聖書と改ざん & ダルマの法則 & 悪と正義の戦い & 日航機墜落 & 買われる日本の島 |

ローマ帝国の皇帝が、キリストの教えを改ざんして、勝手に聖書をつくり、
キリスト教を、世界の約3人に1人が信仰する「世界宗教」へと押し上げた。

当時、 ボロボロで、崩壊の危機に陥っていたローマ帝国の皇帝は、
ローマ帝国を復活させるための道具として、
キリスト教を改ざんし、利用した
のです。

では一体、キリスト教を道具に使うとは、
どういうことなのでしょうか?

なぜ、聖書が改ざんされたのでしょうか?

西暦284年、ローマ帝国は4分割されました。

ローマ帝国最大の敵は、キリスト教徒でした。

現在、ローマといえば、キリスト教の総本山ですが、
3世紀のローマでは、キリスト教は、最大の敵でした。

当時のローマでは、16人が暗殺され、50年間で26人もの皇帝が登場するなど、
皇帝がコロコロと入れ替わり、権威は地に落ちていました。

頭を悩ましたローマ皇帝は、
皇帝の地位を高めるために、皇帝である自分を「神」であるとし、
人々に崇拝させることにしたのです。

しかし、それに反発する巨大勢力がいました。

それが、キリスト教徒たちです。

「わたしたちの神は皇帝ではない。
わたしたちの神は、イエス様だけだ!
ぜったいに皇帝に従わない!!」

一向に政策に従わないキリスト教徒たちに、皇帝は大激怒。

キリスト教徒を捕らえて、円形闘技場に引き出し、
ライオンに食わせるといった公開処刑を行ったり、


キリスト教徒の財産を没収したり、
身体を焼いて切り刻んだり、


教会に押し入り、見つけた聖書を焼き捨て、
建物を完全に破壊したりと
迫害に迫害を重ね、キリスト教徒を根絶しようとしました。

しかし、どんなにキリスト教徒を迫害しても、
キリスト教徒は、一向に減る様子はありません。

むしろ、迫害に比例するように、どんどん信者数を増やし、
脅威を増し続けていました。

この時、コンスタンティヌス帝が、
ローマ帝国を立て直すため、そして、権力を握るために、

ローマ帝国にとって脅威であるキリスト教を
逆に利用しようと考えた
のです。

なぜなら、キリスト教の教えが、統治支配に都合がいいことに気が付いたから。

「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。

神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によってたてられたものだからです。

したがって、権威に逆らっている人は、
神の定めにそむいているのです」(ローマ書13章)

「奴隷たち、どんなことについても、肉による主人に従いなさい。

人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、
主を畏れつつ、真心をこめて従いなさい」(コロサイ書3:22)

ローマ帝国で、武力により西の皇帝に上り詰めたコンスタンティヌスは、
政治推進のために、当時のローマでは考えられないような
大転換政策を実行しました。

①キリスト教公認

キリスト教徒の支持を得るため、キリスト教を公認することにしました。

キリスト教の僧職者たちに地位や棒給、そしてこれまで、
他の宗教の神官が持っていた影響力を与えるなどの特権を与え、

キリスト教徒の地位を高め、
政治にキリスト教の教えを採用し、ローマの民を、
1つの「カトリック」という名で統合し、
異教の慣習や祝いには、キリスト教の名称をつけ、
これまでのローマ文化をキリスト教化していったのだ。

このようにして、ローマをキリスト教化することで、
キリスト教徒の支持を得たコンスタンティヌスは、

宿敵であった、反キリスト教の東の皇帝を破り、
324年、念願のローマ帝国唯一の皇帝としての君臨を果たすことになったのです。

②政治都合で決められた教義

さらなる権力を手にするため、コンスタンティヌスは、
キリスト教を利用するだけではなく、
キリスト教の教義も、都合よく改ざんすることにした
。

コンスタンティヌスは、キリスト教の教えも、都合のいいように統一することにした。

公会議を開き、数ある派閥の中で、自分の統治に都合のいい教えがある派閥を
「正統派」と勝手に決定した。

彼が「正統派」とした説では、
神とイエスが同位であるばかりでなく、
聖霊もまた同位になると定められている。

そして、聖霊は人間に宿ることができるため、
皇帝に聖霊が宿った、ということができたのである。

この考えを利用して、
「コンスタンティヌス帝に聖霊が宿った」という論理をつくりあげたのだ。

こうすることで、コンスタンティヌスは、
神から遣わされた仲介者として振る舞うことができるようになり、

彼の決定は、神の言葉とされるようになったのだ。

これまで、ローマ市民と元老院から統治を委託されたという皇帝の立場は不安定で、
不評を買うと暗殺などで抹殺されるということを繰り返していた。

それを、「唯一絶対の神から統治を委託される」という、
誰からも文句のつけようのない方式に変えることで、
コンスタンティヌスは絶対的な地位を手に入れたのである。

③政治都合で書き換えられた「聖書」

キリスト教文書の中から、統治に都合の良いものを選び、
正式な聖書として編成をした。

つまり、一皇帝が、「これがキリスト教の教えだ」というものを
勝手に作ってしまったのである。

そしてそれ以降、彼が編纂した教え・聖書がキリスト教となり、
ローマ帝国全体を統一していくこととなったのだ。


ローマ皇帝は、本当のキリスト教徒ではないのではないかと思っておりまして・・

ローマ皇帝は、本当のほんとうは、
ミトラス教徒だったのではないでしょうか?

ミトラス教とは、牡牛を屠る宗教です。

(もともとは太陽神を拝む宗教とのことですが、
ミトラス教は、太陽神ではないものを拝んでいる宗教のような気がします)

ミトラス教徒の説明(抜粋)

ミトラ教 – Wikipedia

ミトラ教またはミトラス教またはミスラス教(英語: Mithraism)は、古代ローマで隆盛した、太陽神ミトラス(ミスラス)を主神とする密儀宗教である。

ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変えたものと考えられることが多い。 

紀元前1世紀には、牡牛を屠るミトラス神が地中海世界に現れ、
紀元後2世紀までにはミトラ教としてよく知られる密儀宗教となった。

ローマ帝国治下で1世紀より4世紀にかけて興隆したと考えられている。

しかし、その起源や実体については不明な部分が多い。

ミトラス教は、牡牛を屠るミトラス神を信仰する密儀宗教である。

信者は下級層で、一部の例外を除けば主に男性で構成された。

信者組織は7つの位階を持つ(大烏、花嫁、兵士、獅子、ペルシア人、太陽の使者、父)。
また、入信には試練をともなう入信式があった。

※大烏(コラクス, corax)
守護神は水星(メルクリウス)。シンボルは酒杯、杖(カドゥケウス)。大鴉の仮面をつける。最下位に位置するカラスは、神々の使者メルクリウスの代理としての役割がある。

ローマ帝国におけるミトラス教は下級層を中心とした神秘的、秘儀的な密儀宗教の神であり、公的であるどころか、信者以外には信仰の全容が全く秘密にされた宗教であったし、民族的性格を脱した世界的な救済宗教としての素質を備えていた。

ミトラス教がキリスト教の有力なライバルであり、ローマ帝国の国教の地位を争ったほどの大宗教だったとする過度な評価は現在も根強い。

「しかし現実では信徒集団はせいぜい100ほどの人間しか集まらなかったことを考慮に入れておかなくてはならない。したがって、あるときには100所ほどの聖所が存在したローマにおいてさえ、信徒の数は一万にも満たなかったのである」とミルチア・エリアーデは述べている。

キリキアからローマへ
ミトラス教に関する最古の記録はプルタルコスの「ポンペイウス伝」である。

これによるとポンペイウスの時代(紀元前106年~前48年)、ミトラス教はキリキアの海賊たちが信仰した密儀宗教の中でも特に重要なものだった。

海賊たちはミトリダテス6世を支援し、広範囲にわたって海賊行為を働いたため、前67年、ポンペイウスによって掃討された。

150年頃、ローマ帝国内に姿を現したミトラス教はまたたく間に全土へ広がり、やがてローマ皇帝たちも個人的ではあったが関心を示すようになった。

発展と衰退
コンモドゥス帝(在位180年-192年)はローマ皇帝で初めてミトラス教に儀式に参加した皇帝とされ、オスティアの皇帝領の一部を寄進した。

この時代、ミトラス教の考古学資料は増大し、中には属州でコンモドゥス帝のためにミトラスに奉納した旨を伝える碑文も発見されている。

ルキウス・セプティミウス・セウェルス帝(在位193年-211年)の宮廷にはミトラス教の信者がいた。

しかし250年ごろからディオクレティアヌス帝の統治が始まる284年ごろまでの間はミトラス教遺跡は激減する。

これはダキアにゲルマン民族が侵入して、帝国の北方地域が荒廃したためである。

ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス(在位270年-275年)は、ローマ帝国内の諸宗教を太陽神ソル・インウィクトゥスのもとに統一しようとしたが、これはミトラス神ではない。

太陽神殿跡からはミトラス教の碑文が発見されているが、それはコンモドゥス帝時代のものである。その後、ディオクレティアヌス帝(在位284年-305年)は他の共同統治者とともにローマ帝国の庇護者である不敗太陽神ミトラス(Dio Soli invicto Mithrae Fautor)に祭壇を築いた。

しかしこの時代が過ぎるとミトラス教は衰退に向かった。

ディオクレティアヌスやガレリウスはキリスト教を迫害したが、続く大帝コンスタンティヌス1世(在位306年-337年)はキリスト教を公認し(313年)、325年のニカイア公会議を主導、死に際してはキリスト教の洗礼を受けた。

この時代以降、ミトラス神殿がキリスト教徒によって襲撃されるようになり、実際にオスティアの神殿の1つやローマのサンタ・プリスカ教会の地下から発見された大神殿などには破壊の跡がみられる。

各地で碑文も減少し、増長するキリスト教会の特権を廃して古代の神々の復権を図った皇帝ユリアヌス(在位361年-363年)の治下では増加するが、それは一代のわずかな期間にすぎず、5世紀頃には消滅してしまった。

コンスタンティヌス帝は、おそらく、

キリスト教にミトラス教の教えを取り込んで、
ブレンドして、ミトラス教系の教義をつくりあげていったのではないかと思われます。

ミトラス教徒にとっては、ミトラス=ソル・インウィクトゥス(不敗の太陽神)でしたが、
クリスマスは、もともとは、ソル・インウィクトゥスが生まれる日だそうです。

おそらく、葡萄酒も血とか、
そういうふうにミトラス教の教義を取り込んでいったのでは?

で、本当の出雲の場所はどこなのか?豊臣秀吉も出雲王朝の末裔?ミトラス教と皇室?(追記あり) 

に書いたのですが、

インドの聖典では、
雄牛に暴力をふるっていたのは、
カリ(カリ・ユガの時代に頂点に君臨する悪魔であり、 
最高神ヴィシュヌ の10番目にして最後の アヴァターラ である カルキ の宿敵)
なのでした。

「ミトラス神は、アーリア人までさかのぼる神」とウィキペディアに書かれていましたが、

ドラヴィダ人(古代インドの王族=ユダヤ人)は、
アーリア人によって南インドへ押されていったのでした。

アーリア人から逃れて、ドラヴィダ人は、
インドから日本へ渡ってきて、出雲族となったと考えられます。

なので、ドラヴィダ人、出雲は、ヴィシュヌ側のような気がします。

で、ですね、

イスラエル(ユダヤ人)の本当の神は龍であり最高神 & 竜宮と地上を行き来していたイソラ

に書いているように、

イソラ(イスラエル・イスラム=ユダヤ人)の本当の神もまた、
最高神ヴィシュヌ
のような気がしております。

あまりにも強力だから、カリがだましたのかもと。

雄牛に暴力をふるっていたのは
カリ(カリ・ユガの時代に頂点に君臨する悪魔であり、 
最高神ヴィシュヌ の10番目にして最後の アヴァターラ である カルキ の宿敵)。

ならば、ミトラス教は、
カリ(最高神の宿敵である悪魔)の宗教
ということになるのでしょうか!?

ローマ皇帝は何者なのでしょう?

杣先生のお話によると、
初代ローマ皇帝カール大帝は、有間皇子のひ孫とのこと。

日本の天皇家(天孫を名乗る側)の血筋なんですね。

ハプスブルク家は、そもそも天皇家が作った

彦太忍信命が行って、
初代神聖ローマ皇帝カール大帝が
有間皇子のひ孫です

神聖ローマ皇帝800年ですね

次は、治仁親王の
フリードリヒ神聖ローマ皇帝です

この治仁親王が、
オーストリアの王子と入れ替え

ペストで亡くなったから
当然ハプスブルグ家とつながるわけです

オランダ王室もつながっていますし

オランダ王室と日本の天皇家は
非常に親しい

オランダ王室から出て、
当然、ドイツとイギリスとつながっているわけです

孝元天皇(100~160)の命により、
羅津(らじん)にある北朝鮮の港

騎馬系民族と融合し、
蒙古系ハンガリー人であるマジャール人の皇統を作る

それが、初代ローマ帝国につながってくる

カール大帝につながっていく

神代文字と豊国文字とエジプトの文字が
非常によく似ているっていうのも
資料があります

これがびっくりなんですけれども、

幕末開国の準備のため、
または国體維持のため、計略実行のため、

欧州王統(オランダ)から
ひそかに帰国された天皇

(典仁天皇:厳光天皇:1733~1794)

って書いてあるんですよね。

すでに幕末に、オランダから天皇が帰国された

皇子をもらったわけです

バチカンの資料の中に書いてある

護国維持のため、孝明天皇は、
裏天皇(国體天皇)に

明治天皇は、堀川誓約で
入れ替わり、
表天皇(政体天皇)になると

衝撃的なことが書かれている

「121代孝明天皇は、偽装崩御の上、
皇位を南朝皇統(周防)大室寅之祐に譲位と記録」

ちゃんと書き加えて言っていますから、
これも重要な証拠なんですよ

コンスタンティヌス帝は、306年(ローマ皇帝)に即位、

カール大帝は、800年(ローマ皇帝として戴冠)に即位。

カール大帝は、自らを「コンスタンティヌスの後継者」と位置づけました。

・コンスタンティヌス1世はキリスト教を保護し、神と皇帝の協調(帝国と教会の協働)を実現した最初の皇帝であり、


・カール大帝も同じく、ローマ教皇と協力して西ヨーロッパを統一し、
キリスト教世界(キリスト教的帝国)を築こうとしたからです。

つまり、カール大帝は、コンスタンティヌスが築いた「神の下の帝国」の再建者とみなされました。

800年のクリスマスの日(ミトラス=ソル・インウィクトゥス(不敗の太陽神)の誕生日)に、
カール大帝は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂で教皇レオ3世から「ローマ皇帝」として戴冠されました。

これは、東ローマ帝国(当時の正統なローマ帝国)を継ぐという象徴的行為であり、
カールは西ヨーロッパで「ローマ帝国の復興者(Renovatio Imperii Romanorum)」として位置づけられました。

ローマ皇帝は、レビ族なのでしょうか?

ローマ教皇は、キリスト教徒とユダヤ教徒を操っているように見えます。

そして、ローマ教皇になった天皇系組織?もまた、
キリスト教徒とユダヤ人を操っているように見えます。
 

レビ族について
アナスタシアより再掲

これは、アナスタシアの一節で、

アナスタシアのおじいちゃまの言葉です。↓

旧約聖書に、イスラエルの人々、つまりユダヤ人は、
自分の収入の10分の1を、レビ族に渡さなければならないとあるのだ。

正確には、以下のように書かれている(長いので一部抜粋)

「わたし(神)は、イスラエルで捧げられるすべての10分の1を、レビの子らの嗣業として与える。

これは、彼らが臨在の幕屋の作業をする報酬である。
したがって、イスラエルの人々は、臨在の幕屋に近づいてはならない。」

レビ族たちが、世界中の銀行に、どれほど莫大な資産を有していることになるのかを想像してみてほしい。

ちなみに、レビ族たちは、自分の資産の保全と増大を心配する必要はない。

あらゆる国の銀行家の多くはユダヤ人であり、それは彼らの任務なのだから。

もちろんレビ族は、いつどこに投資するべきかをユダヤ人に対して示唆することもできる。

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ユダヤ人であれキリスト教徒であれ、どちらも、
その第三者(レビ族)の勢力の手中にある、
ただの操り人形のようなバイオロボットに過ぎない
のだ。

イスラエルの法により、レビ族は軍事行為に参加する必要がなかった。

レビ族はどこへも、いかなる税金も支払う必要はなかった。

レビ族は、エジプトの神官たちの秘密の学問を知って、
実験にいそしんだり、監視したりして、
じっくりと思案にふけることが可能であったし、

兵役の義務からも、
人々がするような通常の労働からも解放され、

世代から世代へと現在にいたるまで、
自分たちの知識を発展させてきたのだ。

どんな宗教も、たとえ最も高潔で、
善と品格を感じさせるものであっても、

神官たちがつくりだした微妙なニュアンスが入った時点で、
彼らにとって最強の武器になる仕組みなのだ。

その仕組みを利用して、彼らはすべての民を支配下に置き、
民が完全に自己崩壊するところまで
互いに争うよう、けしかけてきた。

このようなことが過去に起き、そして現在でも起き続けているのだ。

「ちなみに、レビ族たちは、自分の資産の保全と増大を心配する必要はない。
あらゆる国の銀行家の多くはユダヤ人であり、それは彼らの任務なのだから。」

・・・国際決済銀行(BIS)を作ったのは、ヨーロッパ主要国と日本、アメリカの銀行団、
天皇一族と天皇を支えた財閥。

ユダヤ人を使って、BISを作らせたんですね。

本部はスイス・バーゼル(Basel)。

現在も中央銀行間の協力・情報交換・金融安定の拠点です。

イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ベルギー
日本・スイス・アメリカ合衆国(民間銀行を通じて参加)

アメリカの場合、連邦政府ではなく
J.P.モルガンなどの民間銀行団が出資して参加しました。

天皇は、国際決済銀行(BIS)とスイス国立銀行に今でも200兆円以上の秘密資金を持っている。 バビル3世

天皇は、国際決済銀行(BIS)とスイス国立銀行に今でも200兆円以上の秘密資金を持っている。(2013年時点)

昭和天皇は敗戦が近づくと、自らが戦争その他で貯蓄した大量の金を、日本銀行や横浜正金銀行から国際決済銀行(BIS)とスイス国立銀行に移した。

国際赤十字社のシステムは、人道支援のために作られたのではなく、
国際金融同盟の会員がスムーズに商売(戦争)を続けるために作られた。

太平洋の委任統治諸島で、秘かに石油や重要物資が日本の赤十字船に移された。


赤十字船は攻撃できないという国際条約ができていたので、日本は安心して物資を購入できた。

アジア支配の途中で略奪した金、銀、プラチナ等の貴金属は膨大だった。


金の一部を日本で金貨に鋳造して、食糧など現地での必要物資の購入にあてた。

残った、金、銀、プラチナ等の貴金属はスイスの国際決済銀行(BIS)に送った。


スイスで貴金属をフランやドルに交換して、迂回経路で必要物資の支払いにあてた。

残ったフランやドルは、国際決済銀行(BIS)やスイス国立銀行に入っていった。

戦争が長びけば長びくほど、
天皇一族と秘かに天皇一族を支えた財閥の資産が増えていった。

「レビ族は、エジプトの神官たちの秘密の学問を知って、
実験にいそしんだり、監視したりして、
じっくりと思案にふけることが可能であったし、

兵役の義務からも、
人々がするような通常の労働からも解放され、

世代から世代へと現在にいたるまで、
自分たちの知識を発展させてきたのだ。」


↑この言葉から思い出すのは、李氏朝鮮時代の両班(やんばん)です。

古代から、彼らのネットワーク?みたいのがあるのでしょうか?

真実が明らかになりますように!

ありがとうございました♡

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