心の病の唯一の薬4

健康

2014-04-25 12:33:08

唯一の薬といいつつ、パート4になっていることに、矛盾を感じつつ紹介しております^^;

「心の病を癒す薬」の4つ目は、愛情について。

自分は、あまり愛情深い方ではないので、こちらも、なんとなく矛盾を感じつつ書いております。

(主人や親は、非常に愛情深いのですけれど・・)

愛情の大切さについては、天理教(子供が小さい頃、天理教に誘われて、何度か通ったことがありました。)で力説されていました。

良いお話をたくさん聞かせていただきました。

天理教では、とにかく、尽くす、尽くすこと。

女性は夫に尽くす、男性は妻に尽くす、配慮する、すると家庭が幸せになる、というお話を、実例交えて教えていただきました。

お話を聞きにおいで、と言ってくれたので、何度か聞きに行きました。勧誘はされませんでしたね。後で、天理教だったのね、と知りました。

お金関係がどうなっていたのか、今となっては気になりますが、ボランティアの方が動いておられるようでした。

そこで聞いたお話。

義理のお母さんのことを大切にされていた娘さんの話。

その娘さんは毎日、義理のお母さんの病院の送り迎えや身のまわりの世話をしていたんです。


ある時に、義理のお母さんに肝臓の病気が見つかって、あと余命半年と言われました。

お母さんが、最後に北海道に旅行に行きたいと言われたのですが、お父さんは、危ないから行かせられないと言いました。

「でも、お母さんが行きたいと言っているし、最後だから行ってあげて。救急車だってすぐに来てくれるし、病院もたくさんあるわよ」って娘さんは言って、飛行機のチケットや宿を用意してあげて送り出したんですね。

幸い無事にお母さん達は帰ってこられまして、「ありがとう、最高の思い、させてもらったわ」と喜ばれました。その後、お母さんは亡くなられました。

亡くなるまでは、「頑張れよ」って言っていたお父さんだったのですが、お母さんが亡くなった途端に、「遺体は家に入れるなよ、絶対に連れて帰らんからな」と言われるのです。

娘さんは、仕方なく遺体を葬儀社の霊安室に置かせてもらって、一晩中お母さんのそばにいて、「ごめんね、お父さん来なくて寂しいね」と言いながら夜を明かされました。


通夜の夜も、「客には何にも出さなくていいからな」とお父さんが言われるので、なんで?と思いながらも、自分のお金で精いっぱいの御馳走を出して、義理のお母さんと一緒に夜を明かしました。

葬式が済んでも、「お骨はいらんからな」と言われ、結局自分の家に持ち帰って、なんでそうなの?とお父さんを責める心ばかりでした。


そうしたら、次の日から、お父さんは痴呆になってしまったんです。


ある寒い日、お父さんがいなくなったので探し回っていたら、遠い警察署で紙おむつを抱えていて、「これが一千万でな、これが二千万でな」と、紙おむつを指しながら話していました。警官が、はいはいと聞いている。

思わず、「寒かったでしょう、お父さん。」と抱きしめて、お父さんをおぶるような格好で連れて帰って、温かいお湯をわかし、自分は服を着たままお風呂に入れてあげたそうです。

背中をこすってあげると、「うぉーうぉー」と恐ろしいほどのうなり声をお父さんがあげたそうです。

でも、自分は怖いとかじゃない、なんとか温かくしてあげたい、疲れをとってあげたい一心。そのあとうどんを作ってあげたら、お父さんはつるつるっとすぐに平らげて、気持ちよさそうに寝てしまった。次の日、痴呆は治ってしまったそうです。


人間の愛情にはすごい力があるんですね。

他に、心に残っている話を、いくつか。

ある浄土真宗の御坊様は、小学生のとき、継ぎをあてた靴下を「恥ずかしいから」と言って隠したら、先生に

「継ぎをあててくれる母親がいることを喜びなさい。継ぎのあたった靴下を履いていることは決して恥ずかしいことではありません。胸をはりなさい。僕には継ぎをあててくれる、僕を愛してくれるお母さんがいるんだと胸をはりなさい」と言われたそうです。

親不孝な心の持ち主のお話

ある男の人で、親をうっとうしく思ってしまう人がいました。

近くに良い大学があって、そこに行けたのに、遠くの大学を探してそこに入学しました。ものすごいお金を親につぎ込んでもらって卒業したのに、何も思わない。親は、飲みたいお酒も御馳走も我慢して卒業させてくれたのに、何とも思わないし、恩も感じない人でした。

卒業して、就職して地元に戻ってきました父もなくなり、母だけになっていましたが、いつも一番良い席に座って、それを当たり前と思う性格。

そしてお見合いしたんですけど、相手は冷たい女の人で「あなたのお給料で女房子供養えるんですか?」などと言われたりしたのですが、でも好きだったんです。

相手の女の人は三股かけてるような人が好きだったんですけど。

そんなことは男側は知らずに結婚しました。

奥さんは、つまらない男、嫌いと愚痴ばかり。子供は小学校でトップクラスの成績で、私がこんな子に育てたのよ、お父さんに似てはだめよ、と思ってた。

でも、中学校で、転校してくださいと担任に言われてしまったんですね。

陰で人をいじめるから。でも、母親は担任が悪いと愚痴ばかり。

高校は一か月で停学。バイク泥棒して一年で退学になりました。そして結婚したんですけど、強迫神経症になってしまって、お嫁さんをスパイ扱いして半殺し、お嫁さんは実家に帰りました。

子供の困りごとは、親にも問題があるようです。

その子の母親は、だんなさんに養ってもらっているのに、ありがとうの感謝の言葉もない。お母さんの心の通りの子供に育ってしまった。

父親は、なぜ人生が狂ってしまったかと言いますと、親孝行ができず、親を嫌いだった。

親に尽くしてほしいけど、尽くしたくはない。

その心の通りのお嫁さんをもらって、心の通りの人生になってしまった。

心が変わったら、全部ガラッと変わります。

お団子屋の御主人の話です。

娘が高校生になったころ、ちょっと注意をしたら、ぷいっと家を出て行って3日帰ってこなかった。心配していたら、その地区の危険なところにあるやくざの子供の家に行っていた。なぜそういうことになったのだろう?饅頭屋は商店街の中にあって、ほかの店は繁盛しているのに、そこだけ売れない。

なぜそういうことになるのか?

夫婦仲が悪いから。

奥さんは、だんなさんが1いうと10返すような人。だんなさんはおもしろくない。

どうしてそういう人と結婚することになったのか考えてみますと、若い頃、饅頭の親方のもとで修業をしていて、一人前に作れるようになったので、親方が、のれん分けをしてくれ、姪を紹介して、結婚も勧めてくれた。

でも、その人は姪を気に入らず、結婚式の準備をしていた親方の前から、ドロンしてしまった。

恩人に後ろ足で砂をかけるような真似をしていては、幸せにはなれませんね。

その後、自分ですごく気に入って結婚したのがその奥さんだった。

人を困らせたり泣かしたりすると、その人を困らせたり泣かせたりする人がついてくる。でも、その人を、喜ばして、つくして、十分にすると、困ったことはなくなって行きます。

結婚したけど、その人との生活は嫌で仕方がない。仲のわるい夫婦だった。

女房は自分に笑顔一つ見せず、話もろくにしない。

そんな仲の子供ですから、長女はやくざの息子に走ってしまいまして。

家に帰ってきても、文句言ったらすぐ出ていくから何も言わないでいると、夜になって、金目のものをひもでつるして、やくざの息子に渡して玄関から出ていく。

朝起きると、金目のものがなくなってしまう。2人目の息子も、やくざの息子とつるんでいる。

ところが、だんなさんが、無茶言う奥さんの話をはいはいと聞いて、喜ばせて、尽くして、にこにこして、はいはいとやっていたら、1か月くらいで店の饅頭が売れ始めたんです。

3番目の息子は、親の言うことを良く聞く子で、その子が店を手伝ってくれるようになりました。「俺、饅頭屋を継ぐよ」って言ってくれた。

しばらくすると、店にずらーっと行列が並ぶようになって、奥さんと息子と三人で売るようになりました。子供二人も、やくざのところから、家に戻ってきて、やくざのとこに行っていた長女はまともな人と結婚できました。

自分を困らせる人、自分が嫌いな人に、なんでも、にこにこはいはい、と尽くしつくすと、信じられないくらい良いことが起きてくる、と言われました。

人の恩がわからない人は苦労します、と誰かに言われたのですが、そういうものなのかもしれませんね。身に沁みます。。

愛情は目に見えない。やさしさも、思いやりも目には見えない。慈愛も慈しみも目にみえない。けれど、それを感じとることはできます。

まわりに見えている人すべての人に、感謝して、にこにこハイハイ、で通っていきますと、きっと人生って変わっていくのでしょうね。

天理教の教えは、非常に勉強になりました。

まだまだ実践できていませんが・・。

愛情深い人と接することも、心の病には良く効くように感じます。

心の病になる人というのは、愛情不足の気がするからです。

ということで、愛情深いアンマのダルシャンには、すごい力があるような気がしております。

愛情深いアンマ(抱きしめる聖者)

「ダルシャン中、涙が出てきて、しばらく止まらなかった。」

「愛というものが、完全に空気に伝わって感じられた。私もここで受けた愛をいろんな所でわけていきたいです。」

「アンマにお会いして、人生に対してとても前向きに明るい毎日を送れるようになりました。自分に関係する人全ての人、そして、世界中の人が安らかで幸せになってほしいと思います。アンマの「愛」のパワーはすごいです。」

「すばらしいエネルギーを感じ、自分の内側からも愛のようなエネルギーがあふれるのを感じました。ここ数年、どうしても解決できなかった問題に関する気づきもあり、感謝の気持ちでいっぱいです。こんな素晴らしい聖なる方とご縁があったことを心から嬉しく思います。本当にありがとうございました」

愛のパワーには、非常に大きな力があるようです。

もちろん、もらうばかりではなく、自分から愛情を注ぐことも、心を癒すのに大きな助けになるようです。草花であったり、動物であったり、子供であったり。なんでもいいんですけど、

私も、子供を育てるようになってから、改めて親のありがたみを知ったり、感謝の念が湧いてきます。

それに、愛情を注いで育てることによって、ものすごく癒されます。

草も花も、愛情深く話しかけられていると、綺麗に咲くって言いますし、
愛情をかけると、愛情をかけてもらいたかった、昔の自分が癒されていくようです。

「あなたと私はただ一つです」とサイババは言われました。

だれか、何かを愛情深く育てると、自分もひとつ成長するのかもしれません。

だれかが私を「タタ」(おじいさん)と呼べば、私はおじいさんの姿で現れます。

お父さんと呼べば、私は父になって現れます。

さらに、別 の人が私を「スワミ」と呼べば、私はスワミになるでしょう。

人間が神をどのような名前と姿で黙想しようとも、神はその名前と姿で現れます。

このカリの時代においては、善さえも悪のように見えます。

一人の人が、ある人を愛し、別 の人を嫌います。ある人に敵意をもち、別の人に友情をもちます。

この種の友情や敵意は、その人が外界から得たものではありません。そのような感情はその人自身のハートによるものです。あなたがだれかを自分の敵であると見なせば、その人は敵になります。

これに対して、だれかを自分の友人であると考えれば、その人はあなたの友人になります。 サイババの御言葉より

ありがとうございました♡

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