2014-07-26 04:21:47
ガザ地区が大変なことになっているようです・・。

ガザが大変なことになっています!
ガザのあちこちに(イスラエル軍により)白リン弾が投下されたことで、ガザ全体が白いガスで覆われてしまっています。白リン弾は有毒ガスで、なんでも焼き尽くしてしまうそうです。10万人の市民がガザから国連のシェルターに避難していますが、彼らを全員受け入れるスペースもなく。。。避難民はどこへ行けば良いのでしょうか。
本当に恐ろしい状態です。もはやガザには人が住める状態ではありません。ガザにパレスチナ人がいなくなったところで大勢のイスラエル人が移住してくるのでしょうね。それが彼らのやり方です。
http://beforeitsnews.com/israel/2014/07/breaking-new-massacre-right-now-almost-half-gaza-city-covered-with-white-phophorus-gas-2446566.html
(一部のみ紹介)
7月22日付け:

(画像:7月23日に撮影)
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このような悲しい出来事を見るたびに、因果応報のことを考えます。
因果応報について、「魂の法則」とシルバーバーチの本より抜粋してあるブログがありましたので、転載させていただきます。
Q、我々が人生で経験しなければならない試練や環境だとするならば、なぜそうしなければならないのですか?
そのような試練の多くは我々が他者に対して行なったことであり、それを今回自分自身に味わい、自分が招いた状況の結果に直面する。それによって自分の行為が他者に及ぼした苦悩や喜びを自覚できるようになり、他者の気持ちが理解できるように成長する。実にさまざまな試練や学びがあるが、一般的にすべてのことは、我々がエゴを解き放ち、愛において成長できるようにと意図されているのである。
Q、 私たちが地上で犯す罪や過ちは、必ず地上生活において報いを受けるのでしょうか?
シルバー・バーチ
その場合もありますが、そうでない場合もあります。
つまりそれは因果応報、因果律ということですが、必ずしも地上での生活の間に成就されるとは限りません。
しかしつくられた原因には必ず結果が伴うので、それは必ず成就されます。そこに時間的なずれが見られるのは、その出来事の性質によっては適切な状況が必要になってくるからです。
しかしその作用には情状酌量といったお情けの入る余地はなく、ほとんど機械的に作動します。自分の行為は自らの霊に記録されてそれなりの結果を生み出すので、それだけ苦しむことになります。そこにはさまざまな事情が絡んでおり、そうした複雑な構造の中で行なわれる因果律ですが、因果律の根本的目的が霊性の進化にあることだけは確かなことです。
神の法ともいうべき「宇宙の法則」が支配していないところは、この宇宙のどこを探しても存在しません。それはあなた方人間の人智の及ばないところまでも、完全にその法則が支配しているのです。大自然の法則は完璧です。私たちはただその働きを知っているに過ぎません。原因があれば結果があり、その結果が新しい原因となってまた次の結果を生み出していくという法則です。その間には何者も介入することを許されず、偶然もなければ、運不運もありません。ただ法則があるだけなのです。
Q、 ある人は汚いスラム街に生まれ、またある人は美しいものに囲まれた環境に生まれますが、こうした不公平はどうなるのでしょうか?
あなた方の誰もが、富んだ生活や貧しい生活を等しく経験してきています。
大切なことはその経験が魂の進化を促すことにあるので、そうした機会はあなた方すべての人々に等しく与えられています。そうした環境は物質的なものさしで言えば不公平と見えるかもしれませんが、肝心なことは、その環境を通じて「魂の因縁」を解消していくことにあります。因果律は魂の進化のためにあります。環境が厳しいほど魂は強くなり、悟りは環境との闘いの中から生まれるのです。そのことを知る偉大な霊魂は、あえて厳しい環境を選ぶことがあります。
Q、 戦争や事故、疫病などで何万人もの人間が死亡した場合もカルマだと考えるべきでしょうか? そうした事故で、持って生まれた寿命より早く死ぬことはないのでしょうか? もし戦争が避けられないことだとするなら、それは国家的なカルマということになるのでしょうか?
カルマというのは、結局のところ因果応報ということです。
つまり、善なる原因が善なる結果を生み、悪い因縁が悪い結果を生むという大自然の因果律の一部です。その働きには誰も介入することは許されません。もしも介入が許されるとすれば、神の公正である宇宙の法則は根底から崩れてしまいます。因果律は、行なう人にそれ相当の報酬を与えるように働き、それが多すぎたり少なすぎたりすることがないように配慮されています。それは当然、それぞれの個人だけでなく個人の集まりである国家についても当てはまります。
寿命というものは、本来魂そのものが決定するものです。
個人には自由意志があり、さまざまな事情から寿命を縮めたり伸ばしたりさせることも不可能ではありません。
戦争が不可避かとの質問ですが、これはあなた方人間自身が解決するべき問題です。自由意志によって好きなように勝手なことをしておきながら、その報酬は受けたくないというような都合のいい話は許されないのです。戦争をするもしないも人間の自由ですが、もし戦争の道を選ぶなら、それを「モノサシ」として責任問題、つまりカルマが生じるのは当然です。
『古代霊は語る』シルバー・バーチの霊訓より 近藤千雄訳編 潮文社
Q、 現在の人生に、過去世がどのように関係しているのですか?
宇宙的な法則があり、それを作用と反作用、原因と結果の法則と呼ぶことができるが、その意味は、「魂は与えたものと同等のものを受け取る」ということである。それは「自分が他者にすることは自分自身にする」という意味である。つまりそれぞれの魂は、自分が創り出した状況に同じように立ち向かわねばならないということであり、ゆえにあなた方が人生で直面する逆境の多くは、前世で自分が創り出した原因の帰結であり、あるいはその影響なのである。
魂はさまざまな宇宙の法則や、万物の生命に反する自分の行為が招いた状況に向き合い、それを解決しなければ、霊的な進化において前進することができない。「自由意志の法則」のゆえに、魂には自由な選択と決断が認められているが、自分の行為の1つ1つがそれぞれの結果をもたらし、遅かれ早かれそれらは自分に戻ってくることを知らねばならない。あなたは好きな種を自由に蒔けるが、いずれはそれを自分に刈り取る責任があるのだ。
もし自分が他者にしたのと同じことをされるのがイヤなら、それはいいことではなかったのだ。自分にとって善くないことは、他人にとっても善くないのだ。自分にして欲しくないことは、他人にもしてはならないわけで、自分がして欲しいと思うことを、他人にもすることである。なぜなら結局は、それは自分自身にしたのと同じことになるからで、すべてのことは実は自分自身に対してしているのである。
Q、 ですが、この法則が一般的に適用されているようには見えません。 よく知られた殺人鬼や犯罪者だけでなく、陰謀による大量殺戮者が、1度も裁判にかけられることもなく、歳とって穏やかに亡くなっているのはどうしてでしょうか?
確かに今世だけの人生では、特に権力の座を占める者たちの場合、多くの犯罪行為が裁きを逃れて人生を終えてしまう。だから「裁き」が存在していないような印象を与える。しかし他者を傷つけて「愛の法則」に反した者は、その後の転生で、自動的に自分のしてきた行為の結果と向き合うことになる。
ある統治者が自らの判断から戦争を招き、大勢の人々を拷問したり死刑にする命令を下したとする。しかし権力の座にあることから地上のどの裁判でも裁かれることがなく、有罪とされることもなかった。だがどのような人生も、「宇宙の法則」に対する違反の帳尻は合わされなければならず、作られた借金はその後の転生に持ち越されることになる。かくしてかつての死刑を命令した執行人が、明日は一見無実の犠牲者となり得るのである。
Q、 なぜ時間的なズレが必要なのですか?
行為とそれの引き起こす反動が続いたほうが、もっと公正だと思うのですが。
実は、反作用は行為の瞬間に自動的に起動しているが、ただちに効果を発揮するとは限らない。行為は「霊的な実り」と「霊的な負債」であるが、その「収穫」は魂が自分を試す期間、つまり人生が終わるまで延期されることが多い。
基本的に償いは、魂が自らの言動を自覚した時に始まるものである。人生が終了すると、法則に反した行為の重みから、魂は自分と似たような性質を持つ他の魂たちがいる、アストラル界下層レベルに留まることになる。「愛の法則」と調和できず、お互いに傷つけあうレベルであることから、そこでの生活はかなりの苦悩と不幸に満ち満ちたものとなるが、そこで更生の決断が待たれることになる。
Q、 魂は他者に与えた害を、どのようにして自覚できるようになるのですか?
魂は肉体の死後、終えたばかりの人生の間に起きた、もっとも道徳的な部分に関わる出来事を徹底的に回顧させられることになる。魂は自分が行ない、経験してきた1つ1つの出来事において、その時の自分の気持ちだけでなく、自分の行為に影響を受けた他の人々の感情や思いをも感じ取り、その人たちの喜びや不快、悲しみを自分のことのように感じるのである。その目的は自らの行為が愛によるものであったか、エゴからであったかを回顧するのだ。そしてその転生で取り組んだどの点に合格し、何が不合格であったかを知るのが目的である。
つまり魂は罰されたり、蔑(さげす)まれたりするのではなく、生命に対する行為を自覚できるように、魂自身の意志により自発的に、与えた損害を修復しようと決意するまで待たれねばならない。しかし遅かれ早かれそれに立ち向かい、犯した過ちを償わねばならない。そして過ちの償いがされるまでは、新たな試練には立ち向かうことができないのである。
しかし実際には、矯正する意志をまったく見せない魂が沢山おり、彼らはそのために下層アストラル界(低層4次元)に停滞してしまい、更生の段階を踏まないですぐ再び地上に転生してしまうのだ。こうした魂は、たとえ更生のプロセスを開始したとしても、善と親和する意志力が弱いために厳しい試練には耐えられない。しかし一般的に「負債を持つ」魂は、前世で自分が生み出したのと非常に似た状況を、再び身を持って体験することになる。
Q、 理解できるように、例を挙げてください。
よろしい。
ある魂が、18世紀の白人の家庭へ転生した。その家族は大農場とそこで働く奴隷たちを大勢所有している。おそらくここへ生まれた魂は親の教育によって、奴隷たちも自分たちと同じ人間で、同じように感じて苦しむ人間なのだということに気づくことはない。また個人的な利益のために、他の生き物たちの意志を蹂躙(じゅうりん)してはならないことや、それが自分と同じ人間の場合にはさらに悪質な行為であることに気づくことができない。そのために奴隷制は、「愛の法則」と「自由意志の法則」に反する行為であることに思い至ることもない。
この魂が大人になり、若主人となった時、彼に「奴隷を所有することがいいことか」と尋ねたならば、おそらく彼は「汚なくて無知な奴隷と、そうでない領主をなぜ比較するのだ!」と言い、彼の自尊心を刺激して怒らせてしまうだろう。「汚くて無知な奴隷」という価値感は、彼が積極的に維持してきた状況である。つまりもしこの状態が妥当だと思えるとすれば、それは逆の立場からもこの状況を経験することに同意していることになる。
その結果、更生のプロセスを踏まず、以後の転生で彼の魂は、自分の家族に隷属する農奴の息子あるいは娘として生まれ、今度は奴隷であることから生じる苦悩を身を持って体験することになる。そして今度は奴隷となったこの魂に、奴隷制は良いことかと尋ねてみると、彼はそれは非人道的なことだと語る。そして、「神よ、なぜ私をこんな苦悩の中に置かれるのですか?」と、自分の不運を嘆き悲しむことだろう。
結局、この魂は自分が蒔いた種を刈り取っただけなのである。
しかしもし彼が、この経験から有益な教訓を引き出すことができたなら、仮に再び大農場の領主となり、社会の状況を変えられる立場になった時に、自分が前世で内的に学習したことを思い出し、あるいは奴隷制度の廃止に尽力するかもしれない。
Q、 この例から、奴隷は前世では、奴隷制度を利用していた領主だったかもしれないという推測ができますね。
そう、そして領主が奴隷なのだ。
自分の自由が尊重されるために必要なことは、どのような状況であれ他者の自由を敬うことなのだと気づくに至るまで、同じレベルの魂のグループが、多くの人生において互いに立場を交代しながらその学びを経験することになる。そしてすべてのことがこのようになっている。
しかしこれは懲罰ではなく、学習の形態であると言っておく。
そこには復讐や罰などはなく、宇宙の法則の目的は、他人に行なった行為を自ら体験することを通して、他者の気持ちも理解できるようになり、魂の進化を促進させることにある。愛の法則に反するカルマを清算し終えるには、より多くの転生が必要となってくるが、彼らを指導するガイドの霊たちは、負債をより楽に払い終える道を勧める場合が多い。しかし大抵の場合、魂は犯した過ちの呵責の苦しみから早く脱け出したいがために、カルマを早く消し去ることを急ぐ余り、より厳しい試練を選ぶ傾向にある。
いずれにせよ、魂は試練に向き合うことを承諾せねばならず、うまく乗り越えられるように準備を整える。
Q、ほとんどの場合において人々が、人生における悲惨な出来事を一方的な強制と感じるのはどうしてでしょうか?
それは生まれる前に決めたことであるにもかかわらず、魂は肉体に宿るとそうしたことをすべて忘れてしまい、自らが決断したことではないと思ってしまう。「魂の法則」を知らない者には理解できないことだが、進化の1歩を踏み出す決意をした多くの魂は、非常に困難な状況に自ら立ち向かおうとする。
ゆえにそのことを理解できない多くの人々は、何も悪いことをしていない善人が運命のいたずらのような、悲惨で不幸な出来事の数々に見舞われるのを理解することができない。そして善人がそれほど苦しまねばならないことから、この宇宙には「真の裁き」など存在しないと結論づけてしまう。しかしあなた方にその魂の過去を見通すことができるとしたら、その訳を理解するだろう。つまりそこで行なわれているのは、その魂が「魂の法則」を理解し始める前に行なってしまった、間違いの埋め合わせをしているということなのだ。
だから、困難に立ち向かう人々がいることを喜びなさい。
なぜなら第一に、その人たちは更生しようと前向きに深く決心した魂であり、第二に、それほどの試練に直面することを選択した進んだレベルに達しているということで、自らの負債を集中的に清算することに成功する可能性があるからだ。
しかし魂が出会う否定的な状況のすべてが、過去の行為の結果であるとは限らない。
実際にはその多くが、今世の行為の直接的な結果である。また自分が転生した惑星の進化レベルに特有のものもある。つまり、負債がない場合であっても、惑星特有の逆境を経験する可能性があるということで、それは頻繁に起きていることだ。しかしそうするかどうかは、魂が自由に選択する。
魂は、苦しいのを楽しむためにそのような道を選択する訳ではない。
このような選択は進化した魂に特有のものであり、後進の同胞たちを助けるために転生して人々を導こうとする愛のある行為なのだ。そして同時に、自分自身もさらに早い進歩を遂げることができる。なぜなら、後進の者たちの恩知らずな行為と不正の多くに耐えなければならないからで、無条件の愛の能力が試されるよい機会となるからだ。
Q、確かに逆境は進化の役に立つでしょうが、しかし実際には今の世界は余りにも不平等で非人道的な耐え難い、餓餓や貧困、戦争などの許せない状況があります。しかし人類のこのような未来を変えるために、善良で非常に高い能力を持つとされる存在たちは、何かをしてくれているとは思えませんが、それはなぜなのですか?
確かに非人道的で許しがたいことは多いが、それらのことは地球に転生した魂たちが生み出したものであり、それを自覚して地上から撲滅する努力をするのは、その責任があってそうすることのできる人間自身でなければならない。すでに述べたように、霊的な進歩とは何の強制も強要もされす、本人の自由意志と努力で決断されて内面的に取り入れられた場合にだけ起きる。これが「自由意志の法則」であり、進化した魂たちに尊重されている「魂の法則」である。このことが、高次元の存在たちが地球上の不正を改善しようとしない理由である。
たとえば、ある問題を解決するために、あなた方の世界に全能の力を持つ存在が現れたとしよう。しかし彼の決断が(たとえば富を互いに分け合うとするものだったとして)、それが常にすべての者の意向に沿うわけではなく、むしろ自分たちが要請していた救世主ではなかったとする地上の者は、彼の出現によって今度は自分たちの利益が奪われたと文句を言うだろう。つまり、あなた方の世界には、エゴを放棄する覚悟のある人や、自分のものだと思っている物を、それを持たない人々と分かち合うことのできる人々もほとんどいないので、どのような決定であったとしても、損をしたと思う不平分子は常に存在するのだ。
そのゆえに人間には、物質世界で思う存分自由意志を使う経験をさせ、自分が招いた状況に向き合うことで気づかせ、それに対処させるのである。つまり苦しみは自らのエゴが生み出したものであり、このエゴが人類の心に「君臨」する限り、戦争も飢餓も貧困、不正もなくなることはない、という結論に自らが独りで達しなければならない。すべての災いを根絶する唯一の方法は、1人1人の心からエゴを一掃することであるが、そのエゴの毒を解毒できるのは、「愛」だけなのだ。
腕組みをしながら、救済者がやって来るのを待っていてはいけない。
行動しなさい。そうすれば助けが得られる。「愛と自由意志の法則」を尊重する高次元の魂たちは、いつでもあなた方を陰から応援するためにそばにいる。しかしあなた方の意に反して助けることはできず、まずあなた方自身の意思で率先して行なわなければならない。それは川に落ちてしまった者が助けを求めていながら、自ら助かろうと浮かぶ努力すらしないようなものである。
自分の運命の流れを変えるのは、あなた方自身である。
決断すると、その力が出てくる。しかしそうではなく、間違いを犯して大変な状況になるたびに、父親が助けに来てくれるとしたら、いったいどのようにして進歩できるというのだろうか? 学ぶためには、自分が自ら決断することで起こした効果を経験する必要があり、自ら自由に行動することで、どの道を採るかを決めることでなくてはならない。
Q、もっと大きな災いを避けたり、平和や民主主義を守るためには戦争も仕方がない、と戦争を正当化する人たちがいますが、それについてどう思いますか?
もし本当に平和や自由を愛するならば、自分が主張することと反対のことをしてはならないだろう。つまり、目的に対して手段が矛盾するのであれば、その人は嘘つきか偽善者なのだ。手段は求める目的と合致しているべきで、目的によってその手段が正当化されることなどあり得ない。戦争によって平和は実現できないし、強制によって自由が手に入ったり、不正によって正義を得ることも不可能である。
Q、でも大部分の人々は平和に暮らすことを望んでいるのに、一部の権力者たちが戦争を決めてしまうじゃないですか?
それなら、なぜあなた方が望むことと反対のことをする者たちに権力を渡すのか?
あなた方の世界の邪悪な支配者たちが、国民を戦争に招集したとしても、銃を取るものも他者に強要する者も誰1人おらず、武器を製造する者も誰もいないとしたら、彼らがいかに邪悪であろうと何もできないはずである。
しかしそれが可能だということは、それはあなた方のエゴが動かされてそそのかされてしまうからだ。自分は他の者たちの殉教者だと納得させられるので、羊は屠殺所に連れていかれる。つまりこれは、自分が同類である人間の命を奪う権利があると信じることから、他人も自分の命を奪う権利がある、と納得させられてしまう者の問題なのである。
『魂の法則』 ヴィンセント・ギリェム著 ナチュラルスピリット(転載ここまで)
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因果応報という事を考えないと、戦争の悲惨さを直視できません・・。
今、ガザ地区におられる方々は、もしかすると、過去生で、同じようなことを、他人にしていたのかもしれません。
もしくは、辛い試練を乗り越えることを選び、自分の負債を清算しようと決意して、この世にやって来られたのかもしれません。
もしくは、負債はなくても、人々を救うために転生してガザ地区の中で働かれている魂もあるのでしょう。
「追憶」を書かれたダイアナさんの母親は、スイスの銀行家とイタリアの貴族の娘でしたが、18歳で結婚され、イタリア人の産業資本家と結婚されました。
結婚後3年経って、第二次世界大戦中に、ミラノが大規模な爆撃を受けた夜、ダイアナさんは生まれました。ダイアナさんの母親は、夫が命を危険に晒しているのなら、自分も勇敢に夫のそばに留まる危険を冒そうと決意して、砲火の下で、実質的に見捨てられた街を去ることを拒否しました。(ほとんどの親戚は、その間、安全なスイスに住んでいました)
その年月の間、正義と奉仕の精神が力強く表面に表れ、ダイアナさんのお母様は能力の限りに戦争と関わりました。
飢えている人を見つけては、危険を冒して食料を届けたり、潰瘍を患っていた叔父には、頻繁に銃撃をくぐりぬけて、小さな手こぎ舟の底に伏せながら、禁制品の牛乳を届けたりされました。また、大きな危険を冒してユダヤ人たちを自宅にかくまいました。もし見つかれば収容所に送られたでしょう。
他のユダヤ人のためには、イタリアから出る地下通路の確保を手伝いました。
負債はなくても、愛情から戦時下で働かれた魂の実例のような気がします。
どんな人にも、平等に因果応報の法則は作用しますので、不平等なことは何もなく、誰のことも裁く必要はなく、誰のことも非難する必要もないのだろう、とも感じます。
そして、善なる原因が善なる結果を生み出しますので、ただただ善なる原因をたくさん作っていくことが重要で、それが私たちを、日本を平和に導いてくれるのでしょう。
そのことを考えますと、日本が武器を輸出するということは、悪い原因をつくることで悪い結果をもたらすことになりかねない、危険なことだろうとも感じます。集団的自衛権の問題も。。
そういえば、「デモは効果がない、逆に政府などに力を与える」というスピリチュアルメッセージが、誰かのところに降りているようですが、本当でしょうか?
デモには一定の効果があるように感じます。
もしもデモに効果がなく、逆に政府に力を与えるのであれば、もっと大々的にテレビなどで放映しているでしょう。世界中で、ある一定の規模を超えると、ものすごい力になるのかもしれません。
「あなた方の世界の邪悪な支配者たちが、国民を戦争に招集したとしても、銃を取るものも他者に強要する者も誰1人おらず、武器を製造する者も誰もいないとしたら、彼らがいかに邪悪であろうと何もできないはずである。
しかしそれが可能だということは、それはあなた方のエゴが動かされてそそのかされてしまうからだ。
自分は他の者たちの殉教者だと納得させられるので、羊は屠殺所に連れていかれる。つまりこれは、自分が同類である人間の命を奪う権利があると信じることから、他人も自分の命を奪う権利がある、と納得させられてしまう者の問題なのである。」
早く、一人も武器を手に持つ人がいない日がくることを願っています。
アンマは言われました。

「愛と至高なる自己を体現されているみなさまに御挨拶いたします。
子供たちよ。平和のマントラ、「ローカー・サマスター・スキノー・バヴァんトゥー」(至高なる存在よ、世界中のすべてのものが、平和で幸福でありますように)を唱えてから始めましょう。
インドだけでなく、世界のあらゆる地域で、洪水、嵐、地滑りなどのために多くの人が亡くなっています。あるいは、何千という人々が、国どうしの戦争と国内紛争のために大変な苦難を体験しています。私たち人類は、そんな悲惨な状態からの脱出方法を見つけられずにいます。ですから、アンマは、この祭典を、共に集まり、祈る機会だとみています。
集団の祈りには高い効果があります。集団の祈りによって、現代の悲惨な状況にいくらかでも変化をもたらせることは確かです。
だから皆さま、目を閉じて、生けとし生けるものすべてが、平和で幸福でありますよう、マントラを唱えましょう。
「オーム・ローカー・サマスター・スキノー・バヴァントゥ」

人々は今、国を守ることについて議論を交わしています。
実は国を守る必要はないのです。
もしあなたが、真理とダルマを重んじれば国は自動的に守られるのです。
国は武器や最新の兵器によって守られるものではありません。
もし、人々が真理と正義を保護するなら、真理と正義が国と世界を守るでしょう。
皆さんが自分の国を守りたいのなら、軍隊に加わり戦う必要はありません。
皆さんが生まれながらにしてもっている真実と正義が保護されるなら、それ自体が国を守ります。
戦争で敵を殺すことは偉大なことではありません。
まず第一に、皆さんの中にある真実と正義を守りなさい。そうすれば、国は自動的に守られるでしょう。(サティア・サイババ)
世界中の全ての存在が、平和で幸福でありますように。
ありがとうございました。

