2014-04-10 02:38:01
いなか暮らしの本に、
自然農 川口由一さんの特別授業が載ってました。
奈良県桜井市に住む川口由一さんが提唱する自然農の基本は、
耕さず、肥料、農薬を使わず、
草や虫を敵にしないこと。
川口さんの小さい頃は、第二次世界大戦中で、
終戦を迎えたのは小学1年の時。
川口さんの父親は、目が悪く、徴兵に行かずに農業を続けていたので、食糧は自給できていた。
終戦の少し前から、焼け出された親戚3家族が同じ家に暮らしていて、
子供だけで15人いたそうだ。
川口さんが6年生のときに、
父親が心筋梗塞で亡くなってしまった。
中学を卒業したら、専業農家になるしかなくて、
思わず涙がこぼれました、と
川口さんは言われる。
定時制高校にも通ったが、農作業との両立が難しくて、3年生の途中で中退する。
「定時制に行きはじめた頃から、農薬を使うようになりました。
有機リン剤の強力な殺虫剤を撒いた後で学校にいくと、吐き気や下痢、高熱など、いろいろな症状が出ていました。」
病院に行くと、流行性肝炎だと診断される。
やがて肝臓を損ねて、水が溜まり、ひどく疲れるようになってしまった。
ちょうどその頃、朝日新聞で、
有吉佐和子さんの複合汚染の連載が始まった。
それを読んで、川口さんは自分が使っていた農薬の恐ろしさに気がつく。
川口さんが農薬の危険性に気づいたのは、36歳の時だった。
翌年、たまたま出かけた大阪の書店で、福岡正信さんの「自然農法 緑の哲学の理論と実践」や、
「自然農法 わら一本の革命」を手にする。
「三年間は、全く収穫できませんでした。
この間、食べるお米は買わなければなりませんでした。」
三年目、念のために用意していた苗代の苗を移植したところ、そのあとは順調に育ち、初めてお米を収穫することができた。
川口さんは、ここで初めて、不耕起のまま苗を移植する栽培方法にたどり着く。
苗がある程度大きくなっていれば、
足元に草があっても、生長が損なわれないことに気づいたのだ。
「大変だったのは母親との関係でした。
あんなに草を生やして恥ずかしい、
もう外を歩けないと、家に引きこもってしまったのです。
他の農家と同じことをしてくれと泣かれたのが、いちばん辛かったですね。」
お米や野菜がきちんと育てられるようになったのは、
自然農に切り替えて10年ほど経った頃だった。
「野菜を育てるときは、土地の状況、作物の性質、天候などに寄り添い、従っていくこと。
人間の都合で形や方法を決めてしまったらダメなんです。そのことに気づいてからは何でも育てられるようになりました」
プロはすごいですね。
三年も、収穫できなかったのにあきらめないところ、尊敬します。
そういえば、テネモスの飯島さんも、
たしか、不耕起の方が害虫が来なかったと
著作に書いてありましたよね?
うちの母親は、このタイプの、草を残して育てるようにしてるんですけど、父親は、綺麗に刈り取るのが好きな性格。
畑って、見た目じゃないんですね。

