大事なのは自分自身が豊かになること。 自分自身が桜の木でありなさい~セアロ氏の言葉より

聖者

2015-12-04 14:59:36

お名前は聞いたことがあったのですが、光子さんがお会いされたことがあると書かれていたので気になって、この間初めてお言葉を読みました。

実は、落ち込んでた原因の一つが、アナスタシアの子供のような環境で育つ子供と、都会の子は育ち方が違うだろうなあ、子供に申し訳ないなあということだったのです。

もし実家(関西や九州)に近い場所に住んでいたら、祖父母や家庭菜園などにもふれあえて良い刺激があるかもしれませんけど、今子育ては私と主人しか関わっていない状態で・・

かといって、主人だけ残して、私たちだけ遠くに住むのも違う気がしますし。。
(末っ子の時に情緒不安定になったのも、実はこの、環境の問題でした。)



でもね、サイババから導かれて僧侶になられたガユーナ・セアロ氏の言葉を読んで、少し救われました。

「住む所について少し考えましょう。


誤解してはいけないのは、自然がよくて都会が悪いという構図。

森の中に入れば確かにうるさい音もなく幸せを感じます。
森が安らげる場所なら、都会も安らげる場所にできるんですよ。同じ地球上ですからね。



よく旅行で自然の素晴らしい所に行っても、都会の中の家に帰ってくると、やっぱり家が一番とホッとすると言うでしょう。

そういう家は自然と同じなんですよ。


心の平安を得る場所は、道路であっても、会社であっても作れるんです。



都会も自然の一部です。
都会が安らげる場所になったら、環境は一発で変わりますよ。
都会から出る悪いエネルギーは全部消えてしまうでしょう。



人間の心はね、とても感性豊かなんです。
動物以上に鋭いはず。それを皆知っているんだけど、わかってしまうと得にならないこともわかっているから、その事実を忘れているだけなんですよ。



これからは人間環境ではなく、人格環境が問題となってくるでしょうね。
個々の人格さえ確立できれば、環境なんて簡単によくなるはず。」





・・心の平安が得られる家を目指そう、あと、都会から出るエネルギーが良くなるように、少しでも何かできたらいいなあと思いました。

他にも、名言がたくさん載っていました。
ガユーナ・セアロ氏は、18歳から43歳ごろまで料理人をされておられたのですが、サイババにお会いになられたときに、「世のため人のために自分をお使いください」と言われました。

その二週間後にはミャンマーの僧侶になっておられたそうなのですが、不思議な話ですね。

非常に心に残った言葉がありまして、少しだけ転載しておきます。
http://www.subarunoki.com/azasealokiji.htmより

(満開の桜の木)
今、あまりにも自分自身を愛していない人が多いですね。
 周りから嫌われたくない、いい人でいたいという気持ちが強すぎて、
それが苦しみとなっている。

その苦しみは自分の心から起こっているもの

 自分を愛していない証拠なのです。

 何とかしようとして、それが苦しみになる。

 逆に我慢を美徳と思って我慢し続けると行ないそのものが苦しくなる。
それは本当の美徳じゃない。

 我慢している自分を他人に見せたいだけなんです。
 自分自身を全く大切にしていない。

 大事なのは自分自身が豊かになること
 自分自身が桜の木でありなさいということです。
 満開になることだけを楽しみなさいと。

 桜の木の枝の下で花見をする人や、日差しをよける人がいても、
 桜の木自体は何も感じていない。


でも自分の桜の枝を折って人にあげようとするから、
あげた自分の枝のことがいつも気になってしまうんです。

 自分があげた枝をちゃんと使ってくれたら、私があげたからだと言い、
ちゃんと使わなかったら、あの人はダメだと言う。

ですからね、あげる必要は全くないんですよ

 自分自身が幸せを感じれば、周りに寄ってくる人も幸せになります。
あるがままでいいんです。


 人はそれぞれが木。

 桜もあれば、梅もある。

 次ぎ木はできません。
 真似もできない。

(幸せになる秘訣)

他人のエネルギーを取って幸せになることは、幸せではないんです。
その人よりよくなるということにすぎない。


 今の自分よりよくならなければ意味はないんですよ。
 幸せであれば使うエネルギーは少なくてすみます。

でも怒りは、その3倍も4倍もエネルギーが入ります。
 疲れますよ。



でも楽しいことばかりだとエネルギーが余る。
その余ったエネルギーを人さまに還元するといいんです。
それは無意識にできる。

ニコニコ笑っている人の横で怒って歩く人はいないでしょう。

100人がニコニコしているところに入ったら、自然に笑ってしまうでしょう。
100人が怒っている所に入ったら、不安になるでしょう。

ですから皆、個々の人々が幸せの動機を持っていればいいんです。
 本物はひとつです。

 自己主義ではなく、自分を愛すること。
そして自分を愛する分、人を愛する。

そうすれば人は愛してくれます。
自然なる人は、そうならざるを得ないんですね。(転載終わり)



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セアロ氏の言葉を読んで、自分を愛する、大事にするってことの大切さを感じました。

自分があるがままでいると、人も楽で、自然と幸せになり、
自分が幸せでいると、人も幸せにしたくなり、
自分が笑顔でいると、人も自然に笑顔になる。

満ち足りていると、それだけで周りの人に良い影響を与えるんですね。

サイババの御言葉に、

「ひとたび、肉体への過度の執着が消え失せれば、人は喜びと悲しみ、善と悪、楽しみと哀しみなどの二重性から解放されます。落ち着き、不屈の精神、そして揺るぎない平安を、彼は確固たるものとします。そこで、彼はこの世界が神そのものであることを発見します。

この世界すべてはよろこび、愛、至福です。彼は自分自身がこの現象世界そのものであること、多種多様の現象のすべては彼自身の実相である神の意志の投影であることを理解します。


この個我の拡がりは、人類の最高の到達地です。それは、賢人や聖者が何年ものあいだ祈り、苦行の末に体験した最高のアーナンダ(至福)を与えます。」

という言葉がありましたが、肉体への執着から解放され、ゆるぎない平安を得た時、自分の本質に戻り、自分の本質を表現し、あるがままの桜の木として存在するようになり、そこにいるだけでたくさんの人に幸福を与える、セアロ師やサイババやアンマやヴィシュワナンダ聖者のような存在になるのかもしれませんね。

ありがとうございました♡

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