2016-12-29 14:30:30
大掃除しながら、ヴィシュワナンダのバジャンを聞いたり、
(「時を超える聖伝説」の中の、)
「真の神は、人間のハートの内側にしか存在しない。
これがパワーのすべてであり、こここそが、真の神々すべてを見つけることのできる場所。」
という言葉について考えていました。
この「真の神」っていうのは、無相の神(形をとらない神)のことだと思うんですけど、
無相の神を想像したり、愛したり、到達するのって、
かなり難しそうだなあと・・。
そして、無相の神について、「平安・冥想・大成就」に書いてあったと思い出して、
探してみました。
少し引用します。
「無相の神は、神に帰依するものを祝福するために、一切の姿をとる」
「一切の名と姿は、平等である。
どの名と姿を崇めようとも、至高の神はただ一つ。
ある1つの名と姿を通じて、バガヴァン(至高の実在)に融合することができる。」
(サティア・サイババ)
・・ということは、姿のある神を崇め、愛することで、至高の実在(無相の神)にも到達できるってことですよね、
自分にはこちらの方が合ってそうです。
そんなことを考えているうちに、
「あなたは至福の大海、限りない歓喜」さんにも同じようなことが書いてあったとふと思いました。・・ありました!
少し転載させていただきます。
ラーマクリシュナ パラマハンサ「ところでお前、最近どんなふうにして神を瞑想しているのかね? 【人格神】が良いと思うか、それとも【無相の実在】(ブラムハン)のほうがピッタリくるかね?」
グプタ校長「現在の心境では形ある神を拝む気にはなれません。そして、無相の実在に心をしっかり固定させることも、どうもできないでいます」
ラーマクリシュナ「分かったかね? 【無相の実在に最初から心を繋ぎとめることはできないのだ】。
【初めのうちは人格神を拝むのが一番いい】」
校長「土でこしらえた像を瞑想するのですか?」
ラーマクリシュナ「どうしていけない? 【魂のこもった尊いお像だ】」
校長「無相の実在というものは、どんなふうにして分かるのですか? とても説明できないものですか?」
ラーマクリシュナ「これを正しく理解するには【霊的修練(サーダナ)が要る】。
部屋の中にある宝玉を見たい、手に取りたいと思えば、鍵を持ってきて扉の錠前を開けるだけの手数をかけなくちゃならん」
「智識の道を行く者たち(ジニャーニ)は無相の実在を思っている。そしてアヴァターラ(神の化身)を認めない。
(※ラマナ マハルシはアヴァターを承認しており、度々クリシュナの話を信者たちに聞かせた)
アルジュナは(アヴァター)クリシュナに対して、『あなたは【完全なブラムハン】(無相の実在=絶対実在=無相の神)だ』と言って讃えた。クリシュナはアルジュナに言われた。
『私が完全なブラムハンであるかどうか、ついて来てみなさい』
そう言ってある場所に連れて行って、『何が見える』と聞いた。
『とてつもなく大きな樹が見えます。
それには黒いライムの実が房のようになって下がっています』
『もっと近寄ってよく見てごらん。
そうすれば黒い実の房ではなくて、【クリシュナが房のように無数になっているいるのが分かる】。
私のような』
つまり、【かの完全なるブラムハンの樹から、数えきれないほどの化身が現れたり消えたりしているのだ】(転載おわり)
他の記事は、こちらからどうぞ。
数え切れないほどの化身が現れたり消えたりしているってところが、興味深いですね^^
そういえば、
アンマによれば、「マハートマ(真我、神意識に到達した人)や偉大なサッドグル(悟りに至った霊性の師)がこの世に生きている期間は、祭日大売出しのようなもの」だそうです。
一年のある時期に、例えばクリスマスなどの季節には、服や家具が割引価格で手に入ります。こうしたものを割引期間のうちに買えば、他の時期に買うよりも少ないお金で済みます。
これと同じように、マハートマが生きている期間は、恩寵の大売出しの期間のようなもので、彼らの恩寵によって、通常必要とされるよりも少ない努力で、私たちは望んだ結果を手に入れることができるのだそうです。
真のグル(霊性の教師)、神の化身サイババや、神と一体であるアンマのような存在からの恩寵があれば、解脱までの道を、著しく早めることができるのだそうです。
「サットグルに味方になってもらうことは、コンコルドに載って旅をしているようなもので、ゴールに連れて行ってくれる最速の乗り物です。
サットグルの助けなしで道を行くことは、シャトルバスで旅行するようなものです。
100回以上停車しながらいくので、前進のスピードは、とても遅くなります。」
(アンマの御言葉)
ヴィシュワナンダやアンマやサイババを見ると、心と目が釘付けになってしまうように、
最高の境地におられる方々には、えもいわれぬ魅力がありますから、
無相の神に心を結びつけるよりも、愛したり想像したりするのがカンタンで、
なので、最速のスピードで進んでいけるのかもしれませんね。
・・人によって、惹かれるマスターは違うようです。
それぞれ、別のマスターに特に惹かれるのは、
「グル・パランパラ」というものがあるからかもしれません。
ヴィシュワナンダは、
「一人一人が系統を持っています。グル・パランパラと言います。
グルからくる伝統、系統のことです。それぞれの人が、その人が従うべきグルの系統を持っています。
人は人生のどこかでサットグルに出会います。これは、パランパラによって引き抜かれたということです。そして保護を受けられます。
アートマでは、その系統に深いところでずっとつながっています。グルと弟子の関係は、過去生からやってきます。サットグルに出会うのは、過去良い行いをした結果です。」
と言われました。
アンマの本をパラパラめくっていたら、こんな言葉に出会いました。
「弟子が師に、なすすべもなく恋に落ちてしまう時は、ひと目会った途端に、思考の動きはなくなる。
師の強力な精神的磁石に引かれて、弟子は、その虜になってしまう。
師は、物でも、ちっぽけな人間でもない。
真の師は、まさにあなたの真我、あらゆるものに普遍の真我よ。
師は無限者。どうして河に海を選ぶことができる?
どの河も同じこと。
海の引き寄せる力は、途方もなく強く、河はただ、海に向かって流れていくだけ。
同じように、あなた達も、至高の師の力に引き寄せられて、なすすべもないのよ。
師の無限の力に引き寄せられて、流れていくの。
師の力の前では、あなたに選ぶことはできない。
あなたは、師の霊的光輝という全能の磁石に引き寄せられて、なすすべもない一粒の砂鉄のようなもの。砂鉄には、選ぶことができない。
磁石の力の範囲に入ってしまえば、来るも去るも、自由にならず、磁石が引き寄せるに従って、そちらの方に動いていかざるをえない。
同じようにあなたも、至高の師のもとへ、どうすることもできずに引き寄せられるだけで、自分で選ぶことはできないのよ。
自然とそうなるの」
・・本当にね、師は魅力的すぎます。
どうしようもなく引き寄せられちゃいますね。
ヴィシュワナンダのダルシャンの映像に、見とれております。
ありがとうございました♡

