2014-10-30 05:47:59
「死んで私が体験したこと~主の光に抱かれた至福の4時間~」という図書館から借りてきた本が目にとまり、ぱらっと読んでみました。

この本は、小さいころにキリスト教の寄宿舎で学び、神に恐れと罪の意識を抱いて育った、インディアンの血を引く女性が書かれた本です。
6人の子供を育てている31歳の女性が、手術後に臨死体験をする話でした。
体のなかで何かがぽんと軽くはじけたかと思うと、いきなり身体から霊がするりと抜けて、上へ上がっていったのだそうです。強力な磁石にでも引っ張られているようで、彼女は、これが自由なのだ、と無限の開放感に浸っていました。
自分の肉体に対して、「今まで来ていた洋服を脱いで、永遠にしまいこんだようなもの」と言われています。
そうこうしているうちに、いきなり3人の薄茶色のきれいなローブを着た修道士が現れました。三人からは光が射していました。彼らは大昔の人という感じでしたが、「私たちは、あなたと一緒に永遠を何回も過ごしてきた」と話しかけてきました。
永遠を何回もだなんて、なんのことを言っているのか分からない彼女の心に、はるか昔からの映像が浮かんできて、この世に生を受ける前の自分の姿や、この修道士たちとの当時の映像などが浮かんできたのです。
この3人が彼女の守護天使で、奉仕の天使の役も務めていてくれたというのです。
3人は、「まだ、あなたが死ぬときは来ていません」と言いました。彼女は、暗黒のトンネルのようなところを通り抜け、遠くの一点の光に向かって進みました。暗黒のトンネルには愛が満ち溢れていて、癒されている感じがしたそうです。
遠くの光の中心に男の人がいて、その人から光が射していましたが、言葉では表現できないほど強烈な光で、太陽をいくつも集めてもかなわないくらいの光でした。
身体のまわりが金色の光で輝き、全身から後光がさしています。完全に無条件の愛で、彼女はその方に思い切り抱きしめてもらいました。「ここがわたしの家。やっとわたしは家に帰れたのだ」と彼女は何度も繰り返しました。
この光り輝く方は、イエス・キリストだったと彼女は語っています。
イエス・キリストは、「あなたの死は早すぎた。あなたの時はまだ来ていないのです」と言われました。
彼女の時が来るのは、この世で使命を果たし、人生の目的、人生の意味を完成させてからと言われましたが、彼女は、「嫌です、わたしは、あなたのもとを離れたくありません」と、猛反撃しました。
次に彼女は、次々に疑問がわいてきました。すると、質問が終わらないうちに、すべての疑問にすっかり答えられてしまったそうです。
キリストの光は知識で、その光には、あらゆる真理で彼女を満たす力がありました。
彼女は天地創造を思い出しました。彼女の目の前で、天地創造の様子が、本当に再現されていったのです。少し抜粋してみます。
「イエスは、わたしが天地創造の知識を自分のものにすることを望んでいました。
生まれる前の世界で霊的な存在だった私たちは、一人残らず天地創造に参加していたのです。
参加していた私たちは、みんな感動で胸を震わせていました。私たちは神様とともにいます。私たちを創られたのは神です。私たちは、自分が神ご自身の子供だという事を知っています。神は、私たちの成長をお喜びになり、私たち一人一人のことをこよなく愛しておられます。
そこには、イエス・キリストもおられます。
驚いたことに、イエス様は神とは別の人格で、ご自身の聖なる目的を持っておられました。」(抜粋ここまで)
彼女は次に、色々な場所に行って、さらにたくさんのことを学びました。「祈り」について書かれた部分が印象的でしたので、少し抜粋させてください。
「人間についての知識とひとつ一つの魂の神聖な価値についての知識が心に注ぎ込まれて、私はへりくだっていました。光と知識がもっとほしくてたまらなくなりました。
ふたたび天が巻き上がると、宇宙を回転している地球の姿が見えてきました。
地球からは光の帯が幾筋も伸びて、まるでサーチライトが照らしているかのように見えます。
幅の広い光線が何本か、レーザー光線のように天に太く刺さっています。
ペンライトのような細い光線もあれば、線香花火がちかちかしているだけのようなものもあります。
この強力な光線は、地球に住む人の祈りだと聞かされて、いささか驚きました。
その祈りに応えるために、天使たちがあちこち走り回っています。できるだけ救いの手を差し延べてあげようと、天使は統制のとれた動きをしています。
組織的に立ち働いている天使たちは、文字通り、人から人へ、祈りから祈りへと飛び回っています。その働きによって、天使たちは喜びと愛に満たされるのです。天使たちは大いに喜んで私たちを助けています。
でも、天使たちが一番喜びを感じるのは、祈りは直ちに応えられると信ずる、真剣な祈り人に出会った時なのです。
明るく輝いた太い祈りがまず最初に聞かれ、それからひとつひとつの祈りが順番に聞かれて、すべての祈りが応えられていきます。でも、誠意のない習慣的な祈りは、光が出ていてもほとんど見えないことに気づきました。力がないので、こうした祈りはほとんど聞かれません。
願いの祈りはすべて聞き入れられて応えられる、はっきり私はそう聞かされました。困難の中にあるときや隣人のために祈るときは、光線がわたしたちからまっすぐ射しているので、だれの目にもすぐ分かります。
また、母親が自分の子供たちのために祈る祈りほど力強い祈りはないということです。
子を思う母親の祈りは最も純粋な祈りです。その祈りには、強烈な願いと、死にものぐるいの力が込められているからです。
母親には、すべてを子供に捧げ、神の前で子供のために力の限り哀願する能力が備わっています。母親でなくとも、私たちはだれでも、祈りによって神に近づく能力が備わっています。
願いの祈りをひとたび口から出してしまえば、あとは祈りにすべてをゆだね、その祈りに応えてくださる神の力を信頼するだけで良いのです。
神はわたしたちの必要をいつもご存知で、私たちの方から助けを求めてくるのをただひたすら待っておられます。
神はすべての力を働かせて祈りに応えてくださる方ですが、ご自身の法則と私たちの意志という2つのものから制約を受けておられます。
神のみこころが、私たちのものとなるよう、呼び求めねばなりません。そして、神を信頼しなければなりません。何も疑わずに、真剣な願いを持って祈れば、私たちは受け取ることができるのです。
神は、わたしたちの祈りを聞いてくださる方であるばかりか、わたしたちに必要なものを私たちよりも先に知っておられる方だということが、今やっと分かりました。
神と天使たちは、大いに喜んでわたしたちの祈りに応えているのです。神と天使にとっては、私たちの祈りに応えることが喜びだったのです。
しかし神には、わたしたちにはうかがい知ることのできない優位性があります。
神は、わたしたちの永遠にわたる過去と未来のすべてをご存知で、わたしたちにとって永遠に必要なことも承知しておられるからです。
神はその大いなる愛の中ですべてをご存知で、永遠にわたるご自身の計画にしたがって、私たちの祈りに応えてくださっているのです。もしかしたら神はご存知ないかもしれないと思って、何度も自分の願いを繰り返す必要はありません。信頼、忍耐、必要なのはそれだけです。
神はわたしたちに自由意思をくださっているのですが、私たちが神を呼び求めるようになれば、私たちの人生の中に、神のみこころが働かれるようになります。」(抜粋ここまで)
祈りが聞かれないように思うこともあるのは、神が私たちにとって必要なことは何か、ご存知だからかもしれません。祈ることは大切ですが、執着してもいけないですね^^;
全てをご存知の神が、私たちにとって一番良いものを与えてくださるのでしょう。
この本の中に、世の中にあれほどたくさんの宗教があるのはどうしてか、という箇所がありました。少し抜粋します。
「どうして神様は、教会を一つだけになさらなかったのでしょう。宗教だって、本物一つだけでよかったのに。
すると、まったく疑問の余地のない答えが返ってきました。
わたしたち人間は、霊的な成長と理解という点で、一人一人異なったレベルにあるというのです。ですから、人間の霊的な知識も、人によってレベルが異なっているのです。
すべてこの世の宗教には存在理由があります。さまざまな宗教の教えを必要とする人がいるからです。
宗教によっては、神の福音がぼんやりとしか伝わらないものもあります。場合によっては、福音とはまったく無縁の宗教もあります。
ところが、そうした宗教も、まことの知識に近づくための足がかりとして用いられているのです。どんなに優れた教会だとしても、一つの教会がすべての人の欲求を、すべてのレベルにわたって満足させることはできません。
神について、そして自分の永遠の成長についていろいろなことが分かってくると、その人はいずれ、自分の教会の教えに満足できなくなって、また違った哲学や教えを求めてその空白を埋めようとします。
こうしたことが起こるのは、その人の霊的な理解がいちだんと深まったからなのです。
そして、さらに真理と知識を深めようと、成長への新たな手掛かりを求めるのです。してみると、教会や宗教について、あれこれ批判する権利など、そもそも私たちにはなかったのです。
神の目から見れば、すべてのものに重要な意味があります。この真理を自分のものにするには、聖霊に耳を傾けて、自我を捨てるようにしなければなりません」
それぞれの宗教は、真理の含まれ方に、比重の差こそあれ、段階?みたいなものがあって、どれも必要なものなのかもしれません。
ありがとうございました♡

