2016-12-19 18:58:46
「循環日記」さんのブログを見て、
「アルクトゥルス人より地球人へ」という本に興味がわいたので、買って読んでみました。

この本は、「ジュディ・シオン」という方が、「アルクトゥルス人」とよばれる超銀河の旅人たちと出会ったところから始まります。
ジュディさんが、コンタクトをとってきたアルクトゥルス人に対して、
「姿を見せるつもりがないのなら、これ以上馬鹿げた会話を続ける気はない」と言いますと、
彼は、「自分の波動を下げるには、膨大なエネルギーがいるので、かわりに、空の雲をハッキリとわかるように変化させて、空想の産物ではないことを示そう」と言いました。
「雲を分けて、雲間から太陽をお見せしましょう」と彼は言い、
ジュディさんは、「ラバドゥに帰り着くまでに(雲から太陽を見せて)」という時間制限をつけました。
そして、ジュディさんは大急ぎで山を降り始めましたが、ラバドゥに着くと、雲の中の円が、そこだけ空が丸くくり抜かれたように晴れ、太陽がくっきりと現れていたのでした。
この本では、まずはじめに、ジュディさんの、「宗教に疑問をいだいて育った」という生い立ちが語られます。
「女性が叡智を求めてりんごを食べたからといって、どうして責められなければならないのだろう?」とか、
「イエスの名を聞いたことがないからといって、地獄に堕ちて焼かれたりするだろうか」とか、
「旧約聖書の神はなぜ、自分への信仰の証として、その生命を差し出せと言ったのか」などについて疑問を抱いたこと。
そして、「わたしたち1人ひとりが神なのだ」という結論にいたり、
「どうして人は、間違った方向へ導く賢威にひれ伏すのか」
という疑問を持ったことなどが語られています。
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・・まず最初に、ジュディさんの、「女性が叡智を求めてりんごを食べたからといって、どうして責められなければならなかったのか」、という疑問ですが、これは「創世記」に出てくる話ですね。
旧約聖書の「創世記」の中で、アダムとイヴは、エデンの園にある果物のうち、「りんご」だけは食べてはいけないと言われました。
けれども、イヴは蛇にそそのかされてこの実を食べ、アダムにも分け与えます。
(イヴが先と書いてあるのは旧約聖書だけで、イスラム教のクルアーンにはどちらが先か書かれていないそうです)
りんごを口にした結果、アダムとイブは裸を恥ずかしいと感じるようになり、局部をいちじくの葉で隠すようになりました。
これを知った神は、アダムとイヴを楽園から追放し、彼らは死すべき運命を背負うことになったのでした。
実は自分も、なぜアダムとイヴが楽園から開放されたのか良くわからなかったのですが、ヨガナンダの本を読んで、ようやく理解できました。
この「禁断の木の実」について、
パラマハンサ・ヨガナンダの著書には、次のような記述があります。
「私(ヨガナンダ)には、アダムとイブの物語が、どうしても腑に落ちません。
神はなぜ、罪を犯した夫婦ばかりでなく、まだ生まれていない罪のない子孫にまで罰を加えられたのですか?」
先生(スワミ・スリ・ユクテスワ)は答えられた。
「創世記の物語は、極めて象徴的に書かれている。
だから、文字上の解釈をしただけでは、その意味をつかむことはできない。
あそこに出てくる「生命の木」とは、人間の体のことだ。つまり、脊髄は、木を逆さにしたようなもので、頭髪が根にあたり、知覚、運動両神経が枝にあたる。
この神経系統の木には、視聴嗅味触の5感という美味しい実がなっている。
人間はこれらの果実を自由に楽しむ権利を持っているが、ただ、性の経験、すなわち、肉体の園の中央にあるりんごの実を食べることだけは禁じられていた。
蛇とは、性神経を刺激するコイル上の脊髄エネルギーを意味する。
そして、アダムは理性を、イヴは感情を表す。
人間の中のイヴ的意識である感情が、性的衝動に征服されると、アダム的意識である理性も屈服してしまう。
神が人間という種族を作られるにあたっては、男女の体を、ご自分の意思の力によって物質化された。
そして、この新しい種族にも、ご自分と同様、けがれなき方法によって、子供を作る能力を与えられたのだ。
個性化された霊魂を通じての神の自己表現は、それまでは、十分な理性を持たず、ただ本能のままに生きる動物に限られていたので、神は新しく、アダム、イヴという名によって象徴される一対の人間の体をおつくりになり、高度に進化した生き物として魂を吹き込み、神性を賦与された。
そして、アダムすなわち男性には理性が強調され、イヴすなわち女性には、感情が強調された。
こうして、現象界の底にある二元性が、人間の両性のうえにも表された。
理性と感情は、人間の心が、獣性を帯びた「蛇」のエネルギーの誘惑におちいらぬ限り、常に調和して聖なる喜びの世界に浸っていることができるのだ。
だから、人間のからだは、単に動物の進化したものではなく、神の特別の創造意思によってつくられたものだ。
最初につくられた男女に備わっていた聖なる意識、すなわち神は、彼らにすべての感覚を楽しむことを許されたが、ただ性的感覚だけは禁じられた。
それは、人間を下等な動物的生殖方法に陥らせないためだった。
しかし、人間が潜在的意識的に持っている、この獣的記憶を蘇らせないようにという神の警告は破られてしまった。
再び、動物的生殖法を採用するようになったアダムとイヴは、最初の完全な人間に与えられていた聖なる喜びの状態から堕落してしまった。
すなわち、「裸であることを知った」
かれらは、神が警告されたように、永遠不滅の意識を失って、ついに自らを、物質的自然法則の支配下に置き、肉体的生死を経験するようになってしまったのだ。
「蛇」がイヴに約束した「善悪を知る」とは、宇宙の二元性の原理を経験することを意味する。
マーヤーの支配下にあるものは、すべてこの原理に拘束されなければならない。
イヴ的意識なる感情と、アダム的意識なる理性を誤用する人間は、迷妄の中に転落して、如意自在の天の楽園に入る権利を自ら放棄することになる。
この2つの性質、すなわち、アダムとイブというわれわれの両親を、調和ある統一状態であるエデンの園に連れ戻すことは、すべての人間に課せられた責任なのだ」
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ギャナアヴァター(叡智の化身?)とよばれている、ヨガナンダの師、スリ・ユクテスワによりますと、
禁断の果実を食べて天国から追放されたという記述は、
「禁じられていた性の経験をしたことによって、
永遠不滅の意識を失い、
物質的自然法則の下に自らを置くことになり、
生死を経験するようになってしまった」
ということの象徴ということのようです。
性の経験をしたこと(物質的な世界にはまりこむこと?)によって、人間は、マーヤー(幻想)に囚われるようになり、生死を経験するようになってしまったのかもしれません。
「善悪を知る」とは、「二元性の原理を経験すること」ってユクテスワは言われていますが、
「善悪」という判断に陥ったことが、堕落の原因、というふうに
ボブ・フィックスさんの本にも書いてありました。
少し抜粋します。
「神は2つの判断、良いと、とても良い しか持ち合わせていない。
神にはそれ以外の判断は存在しない。
神はまた、一つの法を持っていた。
それは、神の庭に実る全ての果実を味わう機会を、
人類に与えるというものだった。
しかし、ただ1つの果実をのぞいて。
人類は、至るところに存在していた。
この宇宙の至るところに。
ああ、地球上にのみ、人類が存在するなどとは馬鹿げたこと。
人類は、至るところに存在している。
生物学的にいう霊長類や、他の生命体から派生した、あるいは、その血を引く肉体に人類が存在しているわけではない。
それは人間という生命体ではなく、単に、人間という生命体が、肉体に宿っているに過ぎない。
ちょうど、シアーズで服を一揃い買って、自分はシアーズの血をひいているというのと同じことなのだ!
我が友よ、それは違う。
あなた方は、霊長類の血を引く存在ではない。
神の血を引く存在なのだ。そして、それこそが、真実。
あなたがたの有している肉体は、一揃いの衣服のようなもの。
あなた方は、肉体という衣服の中に入り、使い古されて役に立たなくなったら、そこから出ていく。
それが真実。
人間という生命体は、神に似せて創造されたもの。
永遠の生命のパワーと、神と協調して、共に創造していくパワーを有しているのだ。
だからこそ、神は言ったのだ。
「お前たちは、私の庭の果実は、すべて口にしてよい。
この創造物の中で望むものは何でも味わって良い。
ひとつをのぞいて全てのものを。
だが言っておく。
善悪の果実だけは口にしないように。」
神は、これをしっかりと言い聞かせなければならなかった。
なぜなら、神はごく初期の段階で、自由意志には、善と悪を創り出す力があるのを目のあたりにしたからである。
かつて、神はそのような告知を行ってはいなかった。
以前は、善と悪の果実は存在しなかったから。
つまり、善悪は存在せず、だた、良いと、とても良いだけが存在していた。
神は善と悪を創造しなかった。
ルシファーが、独自の見解を創造することによって、善悪が創造された。
独自の見解とは、故意または意図的に、他のあらゆるものとの協調からそれる自由意志による行為を意味している。
さて、人類は、この区域で善と悪の果実を口にする。
かれらは、こうあるべきだという観念や、しまいにはその観念から生まれた形をまといはじめ、とうとう彼らのより自由な光の本質を忘れるようになっていった。
彼らは、自分たちが創り出した観念や規則や責任で重くなり、さらに我を張るようになっていくのだった。」(転載終わり)
・・独自の見解から、善悪を判断して、自由意志による創造(自我からの創造)を始めたのがルシファーだったのですね。
「人間」というのは、「人間」という生命体で、神の血を引く種族っていうのが心に残りました。
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次のジュディさんの疑問。
「イエスの名を聞いたことがないからといって、地獄に堕ちて焼かれたりするだろうか」について、
これは、
「わたしは道であり、真理であり、生命である。
だれもわたしによらないで父のもとに至ることはできない」というイエスの言葉への疑問ですよね。
「イエスのもとに来なかったら、父(神)のもとに至ることはできない」と、学校かどこかで教えられたのかもしれませんね。
この言葉に対しても、スワミ・スリ・ユクテスワは、深い洞察から解釈をされています。
「神学者たちは、キリストの言葉を間違って解釈している。
『わたしは道であり、真理であり、生命である
だれも、わたしによらないで父のもとに至ることはできない』という言葉は、
イエスだけが神の唯一の子であるという意味ではない。
すなわち、人間はだれでも、まず、「神の子」であることを現さなければ
(すべての被造物に内在する普遍的キリスト意識に目覚めなければ)
被造物を超越せる父(神)、とらえどころのない、無限の絶対者に至ることはできないということを説いているのである。
このキリスト意識と完全に一致していたイエスは、すでに自我意識を解消していたので、キリスト意識を「わたし」と言ったのである。」(スワミ・スリ・ユクテスワ)
ジュディさんの言われるように、イエスの名を聞いたことがなくても、
キリスト意識(普遍的な愛と慈悲の意識。純粋な愛)に目覚めた人はだれでも、神実現に至ることができるのでしょう。
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ジュディさんの次の疑問。
「旧約聖書の神はなぜ、自分への信仰の証として、その生命を差し出せと言ったのか」について。
昔、旧約聖書をテーマにした映画を親が見ていて、ちょうどリビングに行った時に、
「信仰への証として子供の命を差し出せ」と言われるシーンを見たことがあります。
「変な神だな」と感じました。
支配したがるような神は、偽りの神だろうと。
ボブ・フィックスさん
(聖なるマスターから、深い瞑想、チャネリング、ヒーリングに関して直接教えを受けた、類まれなチャネラーであり、教師。
ババジから授かったテクニック:フルフィラメント瞑想を教えている方。
マハリシ・マへーシュ・ヨギの超越瞑想の最初の教師の1人)
の書かれた本の中に、このような記述があります。
「マーリン」というオリオンの相談役のマスターの言葉を綴った本の一節です。
「人間のように振る舞いながら、地球上空の天の領域に住まう「神々」に関する伝説が作り上げられていった。
無論、本当の神々や天使等は存在していた。
たしかに、多くの天の領域が存在していた。だが、広まった伝説の多くは、そうした本当の神々のものではない。
事実、それらの伝説は、遺伝子工学によって生み出された存在と交わりにやってきた、肉体を持たぬアトランティス人達に関するものだった。
神々から生まれたリーダーたち、もしくは天から下った大いなる存在については、あらゆる文化に記されている。
真の神々が、人間の行いを正すために降臨したのは事実であるにせよ、地球の伝説の多くが、地球と初期アトランティス人との関係を土台にしているのもまた、事実なのだ。
異星人が存在しなかったと言っているわけではない。たしかに存在していた。死を免れない人間の観点からすると、アトランティス人はまさしく神のごとくに、あるいはその他の優れた知的生命体に思えたはず。」
「地球の伝統はすべて、本来はアベル(サナンダ)と共に活動していたマスターたちによって授けられたもの。
マスターたちの教えでは、神々やデヴァの暮らしは、崇高なものとして語られた。
だが今や地球の人々は、それとは異なる現象を目のあたりにしていた。すなわち、神々が人間と同じようにふるまいはじめていたのだ。
「神々」の多くが、特別に選んだ人間の配偶者との間に子供をもうけたりした。
だがこれらは神ではない。彼らはアトランティス人。
アトランティス人の中には、神として振る舞うことに没頭するあまり、さまざまな神の名をかたり、霊的、魔術的パワーを得るべく、長い瞑想にふけったりもしていた。
瞑想によってパワーは得た。だが、実際の行いは変わらなかった。
彼らは実際には、本当の神ではなく、神の衣をまとった人間に過ぎなかったのだ。」
(引用終わり)
・・たぶん、信仰の証として命を差し出すようにいうような神は、偽りの神なのでしょうね。
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そして、ジュディさんは、「わたしたち1人ひとりが神なのだ」という結論にいたり、
「どうして人は、間違った方向へ導く賢威にひれ伏すのか」という疑問を持ったことなどを語られています。
(追記):サイババは、
「私は神です。あなた方も神です。
私とあなた方の唯一の違いは、私はそのことを知っていますが、あなた方はそのことを全く知らないことです」
と言われていますので、
わたしたちも神なのでしょう^^
「心を込め、力を尽くして神を拝すれば、一切の制約状態より解放されます。
何人も神より孤立する必要はありません」とヒマラヤ聖者が語られていますが、
人は、最終的に、崇拝する(愛する)ものになるのでしょうね。
(「イエスは、『人は自分が崇拝するものになる』と度々わたしたちに教えて下さいました」とも書かれています。)
「どうして人は、間違った方向へ導く賢威にひれ伏すのか」という疑問についてなのですけれど、
間違った賢威にひれ伏す人は、その賢威が持つパワーとか、そういうものに恐れを抱いたのかもしれません。
それか、賢威が持つパワーに憧れを持ったのかもしれません。(そういうパワーが欲しかったとか)
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「アルクトゥルス人より地球人へ」の本に戻ります。
この本は、アルクトゥルス人とのチャネリングを通じて書かれた本で、
「サナト・クマラ」
「エクタラ」(アルクトゥルスの科学技官)
「エナンドラ」(アルクトゥルス文明のアカシック図書館司書」
「マグダラのマリア」
「イェシュア・ベン・ヨセフ」
「アジュロン」(アルクトゥルスの元医師)
「イスー」(アルクトゥルスの瞑想マスター)
「フレフィオス」(アルクトゥルスの戦士)
が、それぞれのメッセージを述べる、という形で書かれています。
この本によると、(本当かどうか分かりませんが)
マグダラのマリアも、イェシュア・ベン・ヨセフも、サナトクマラも、アルクトゥルス人だったと書かれています。
で、最初の「サナト・クマラ」は、このように語っています。
「9000万年ほどまえに、わたしはあなたがたのいう宇宙司令官になりました。(中略)
「1000万年まで飛びましょう。そのころの地球は、地質学的な激動の陣痛をくぐり抜け、ようやく一部の地域が安定してきたところでした。
わたしは、この初々しい惑星に降り立ってみることにしました。
そこで、母船よりもずっと小型の着陸船を、あなたがたが今日本と呼んでいる土地の鞍馬山という山の上に据え付けました。
わたしが降り立ち、飛び立ったその地点に、今ではちいさなお堂が建っています。
わたしはその土地で、進化の初期段階にあった人々と交流しました。
そして、銀河の旅人が新天地を訪れたときにありがちなことですが、そこで恋におちました。その女性は、非凡な能力を持つ、地球ではいわゆるシャーマンとよばれるような存在で、次元を超えた世界を旅することができたのです。」
「やがて私たちは、5次元において子供を授かりました。すると、彼女は特殊な能力で、私の種子の波動を3次元に運び込み、そこで女の子を産みました。
わたしは銀河全体におよぶ任務のため、彼女の出産を待たずにその地を去らねばなりませんでした。しかし、宇宙の瞑想に入れば、いつでも完璧に彼女に会うことができました。」
「かくいう私自身、きわめて興味深くも切実な状況にあります。
わたしは何百万、何千万年もの間、宇宙のこの宙域を守ってきました。
星の司令官である以上、私にはその使命遂行が常に最優先の関心事であり続けました。そのため、イスラと出会った経験が私のこころを開かせたにもかかわらず、任務を前に、わたしはどうすればいいかわからなかったので、結局使命を選びました。(中略)
その後、大評議会において、わたしは仲間たちに自分のジレンマを打ち明けました。
すると、多くの仲間達が、同じようなジレンマを訴えたのです。
わたしは奇妙な気恥ずかしさとともに、このことは多くを物語っているのではないかと気づきました。つまり、進化という観点からはずっと進んでいるはずの私たちアルクトゥルス文明が、銀河を超えて種まかれたあなたがた地球人類と同じ弱点を抱えていたのです。」
で、この後に記されている イェシュアのメッセージにも、
「これを読んでいる人の多くは、わたしをナザレのイエスという名で知っているでしょう。」
「アルクトゥルス人にとっては、常に使命が最優先であり、そのことが心に影を落とす結果になります。わたしもサナト・クマラと同じように、当時を振り返って煩悶しています」という言葉が出てきます。
・・こんなに長い時が経ってまで、煩悶するものなのでしょうか!?
このような言葉を、サナトクマラやイエスが言われるかどうか、ちょっと疑問なのですけれども・・
チャネリングの場合、チャネラーの意識状態にも、左右されるところがありますからね!?
(超能力みたいのもそうですよね。
人並みはずれた力を持っている人が、必ずしも高い霊性を持っているとは限らないというか・・)
自分は、この、ジョディさんの本より、ボブ・フィクスさんの本の方が、
より惹かれます。
好みの問題かもしれませんね^^
ちなみにこの、ボブフィクスさんの本もまた、
「循環日記」さんが紹介されていた本なのです♪
ボブ・フィクスさんの本には、
「サナト・クマラは、美しい妻 レディマスター・ヴィーナスと共に到来した」
「100万年の間は、聖なる火の山である鞍馬山で、サナト・クマラの活動のすべては行われた。」
と書かれています。
妻と一緒に来たのに、恋に落ちるとか、ありえるかしら・・
しかも、鞍馬山で活動していたと書かれているので、
鞍馬山から離れなかったみたいだし・・
どちらが本当の情報なのでしょうね。
こちらも少し、書き抜きますね^^
「はるか彼方、土星の最高評議会は、金星のきわめてパワフルな魂を、妻とともに地球に遣わすことを決定する。
また、クリシュナのときと同様に、その魂とともに、14万4千のマスタークマラたちが同行することも決定した。
この存在は、サナト・クマラという名前で歴史上よく知られており、
聖書にも「日の老いたるもの」として触れられている。
サナト・クマラは、美しい妻 レディマスター・ヴィーナスと共に到来し、地球にインスピレーションと喜びをもたらした。
すでにクリシュナの時代から、地球に住み着いている金星人たちがいたが、彼がはじめて地球にやってくる時には、その金星人たちに彼を歓迎するように指示が送られた。
サナト・クマラとレディマスター・ヴィーナスは、乗り物にのることなく、空中をすさまじいスピードで移動した。
そして、彼らの通った跡には、光線が現れた。
鞍馬山と呼ばれているクマラ山に、ふたりは最適のパワースポットすなわちボルテックスを発見する。
この地は、光明と叡智の神なる火、聖なる火の存在する場所だった。
そこで二人は、他のクマラたちの歓迎を受け、地球の未来を祝福した。
サナト・クマラとレディマスター・ヴィーナスとその他14万4千のマスタークマラたちがはじめて一堂に会し、光の同胞団として後に知られるようになる組織が設立されたのも、ここだった。
鞍馬山は、この地球における、最初の最高評議会の会合が開かれた場所だったのだ。
アセンテッド・マスターたちとパーフェクト・マスターたちによる白色同胞団(ホワイトブラザーフッド)は、約250万年前にサナト・クマラが鞍馬山に降り立った時に設立されたもの。
最高評議会の意向を反映し、全ての時代のすべての人々が、神の真理の光が有する純粋さ、叡智、そして直接的な神の認知、悟り、に関する貴重な知識を堅持することを、其の活動の目的としていた。
そこで、これら不滅のマスターたちは、いかなる集団、いかなる魂も、神の光を見出すための導きを得られるよう、自らすすんで地球に留まった。
最初の12の神殿と主な地球の聖なるパワーのボルテックスを設立すべく、マスターたちは、鞍馬山から世界のすみずみに遣わされた。
そのあと随分たって(約100万年)、地球がそのパワーを失う危機に陥ると、サナト・クマラは、現在は中国と呼ばれているゴビ砂漠はるか上空の、シャンバラ神殿へ居場所を移した。
だが、100万年の間は、聖なる火の山である鞍馬山で、サナト・クマラの活動のすべては行われた。
地球が純粋さを取り戻すための手助けのためにやってきたサナト・クマラと神聖なる配偶者レディマスター・ヴィーナスは、神の叡智の聖なる火を崇め持っていた。
二人は、最高次元の12番めの光線の聖なる長老(神官長と女神官長)でもあった。
ふたりは、地球のために、つねに完全な男性エネルギーと女性エネルギーのバランスを保っていた。
また、天と地球のエネルギーのバランスを維持し、人間と天使・デヴァ双方を束ねていた。」
「サナト・クマラは、セントラル・サンから、多くの特別な魂を引き連れてやってきた。
彼らはまっすぐ直接地球にやってきたので、他の数々の文明の影響を受けることはなかった。
そして、サナト・クマラが降り立った日本の京都のある場所の辺りに、コミュニティを形成した。他の世界とかかわりを持たなかったために、奇跡的にトートにその存在を気づかれることがなかった」
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ボブフィクスさんの本より、クリシュナの到来について。

画像はこちらより
「クリシュナは大いなる輝ける星。
天使とデヴァの王国からも人間からも崇められる神なる光として、この地球にやってきた。
まさに神の口から出現した彼は、生命あるものたちの王国が有する資質全てを内在させていた。
彼は、神の存在そのものの光に満ちた大いなる輝ける星だった。
これほどまでの真理とパワーと愛の波動は、その後地球に出現していない。
初期の頃、地球は、そのような神の如きパワーを維持する力を持っていた。
地球とその波動は、まだ極めて純粋であり、地球に住まう存在たちはほとんど不滅に近く、ライトボディーの中で生命を享受していた」
サイババやババジは、クリシュナの生まれ変わりと言われていますが、
もしかしたら、今の地球は、
この頃のクリシュナが体現されていたようなパワーと愛を、支える力を持っていないのかもしれませんね。なので、持てる力全部は出しきれないという感じなのかも。
「クリシュナは、すべての天使、すべてのデヴァ、すべての人間の前に現れた。
かれはあらゆる生命の源であるセントラル・サンから直接やってきたため、否定的なものを中立化し、あらゆる軋轢を自動的に正すたえのエネルギーのフィールドを持ち、それを具現していた。
クリシュナは全く純粋で、歪み一つなかった。
かれは歪みのない光であり、何一つ妨げるもののない愛そのもの。
純粋な愛と光の本質。
その時代、必要だったことはその光を見、神とすべてのものに存在する神性を思い起こすことだった。
クリシュナは、黄金の神の光になるとはどのようなものかを身をもって示した。
クリシュナを愛したものたちの多くが、彼のような存在に進化していった。
あまりにも進化したので、彼らは粗雑さを手放すのみならず、クリシュナの波動と共に、神と一体になった状態にまで完全に昇華した。
各々が偉大なるマスターとなり、神の聖なる口より発せられる言葉を繰り返した。
神の口より発せられた聖なる音(マントラ)を学び、彼らはその音の醸し出す聖なる波動を繰り返し唱え、地球の状況をも修正した。
クリシュナが地球を離れる時がくると、マスターとなったものの多くが、彼と共に去ろうと決心した。
そこで当時、まさに何千という魂が地球を去り、天界へとアセンションした。
クリシュナに従って大いなるセントラル・サンに戻ると、これらマスターである魂たちは、ヴァイクンタとよばれる最高次元の天界を構築した。
彼らは今日までそこにとどまり、クリシュナの最高次元の真実が持つ慈愛に満ちた一体感の中に生きている。
時として、どこかの世界のどこかの場所で、最高次元の援助が必要だと察知すると、その任務のために、特別なマスターがヴァイクンタから遣わされるのだ。」

クリシュナのバジャン(クリシュナを讃える歌)
(歌詞)
HARE KRISHNA
HARE KRISHNA
KRISHNA KRISHNA
HARE HARE
HARE RAMA
HARE RAMA
RAMA RAMA
HARE HARE
(意味)
クリシュナ神に御栄あれ
ラーマ神に栄光あれ
歌詞はこちら
ありがとうございました♡

