「真理への翼」と「聖仙シュカの預言書」に書かれたサイババの真実

聖者

2015-04-04 16:31:50

一昨日、ふと疑問に思ったことがありまして、検索していた時に偶然、すばらしいブログを発見いたしました(*^ー^)ノ
(といっても、随分前から書かれておられるようです )

『真理への翼』(サイババの導きと叡智)というブログです。

このブログに、「聖仙シュカの預言書に書かれたサイババの真実」が載っています。↓
http://ameblo.jp/sairamu31baba/entry-12007821166.html

少しだけ、転載させていただきます。「真実のサイババ」(青山圭秀著)に載っている「聖仙シュカの預言書」の部分より。もっと詳しく知りたい方は、↑の、「真理への翼」をお読みになってください。

《・・・いずれ来る、カリユガの時代、悪は世界を四分の三まで支配する。
さらに四分の一の不正がはびこり、世界を覆いつくそうとするとき、神は地上に化身する。

アクシャーヤの年、カルッティカの月、クリシュナ・チャトゥルダシーの火曜日(注釈・サイババが実際に生まれた1926年11月23日)
アールードラー(第四)の星のもと、無限のシッディ(注釈・神通力)を持つこの人は生まれる。

彼はその前にシルディに化身する。
その時、地上の人々を苦しみから救うため、人々の祈りに応えてもう一度転生することを欲す》

《彼はリンガ信仰の地、ウラバコンダで学校に通う。
寛大で、同情心に富み、過ちに対しても怒りをあらわにしない。

聖賢たちは、この人が 『思いの時に死ぬ能力』 を持ち、ニルヴィカルパ・サマーディ(究極の法悦)の状態にあり、だだ、ダルマ(正義)を守るために生きていると宣言する。

彼は様々な姿で現れ、ダルシャン(拝謁)を与える。
困難と危険、そして重荷を取り去る。
彼の偏在を信者に示し、信者は彼に帰依することで罪を清め、平安を得ることができる。

彼はこの世への執着を一切持たず、物事をすべて意のままに行う。
その使命は、人々の救済であり、そのため、彼は適切な時、適切な方法で、必要なもののすべてを与える。

真理と正義、そして神の化身。
彼はサティア(真理の)・サイババと呼ばれるだろう》

《彼の恩寵で、人々は困難を克服し、重荷を退け、成長する。
短期間にその偉大さは知られ、世界がサティア・サイババを崇めるだろう。
彼は一か所にいても、同時に多くの場所に現れ、神聖な行為とその成就が見られる。

尊神サイババは、マハーヴィシュヌ・スワルーパ(至高神ヴィシュヌの化身)である。

彼は自然の法則を超えた癒しの力を持つ。
彼はその力を、この世界の人々のためだけではなく、より高い世界の生命体(天使や妖精)のためにも用いる

(注釈・サイババ様はその御講話の中で、何度となく「この世の救済は、人間だけを救済してもなされない」 ことを語っておられます。そのためには、天界や霊界に14の段階として存在しているすべての世界の住人に対して救済が行われなければならず、人間の目に見えない所で自身がそのための活動をしていて、我々が見ているサイババとは、神の化身の氷山の一角に過ぎなということを理解するように忠告しておられます)。

病気や苦しみを自ら引き受けることもある(注釈・こうした話を聞くと「神なのだから、どんな病気でも治せばいいではないか」 という思いが浮かんだりしますが、この世界はカルマの法則と言う神が敷いた秩序の上に成り立っているため、いくら神と言えども、その秩序を完全に無視して介入してしまうと、この世界そのものが成立しなくなってしまうため、時にはそいう人知では理解できないことも行うのだと、仰っています。「人間の知性では、どんなに頑張っても神を理解することはできない。人間にできることは理解ではなく、神への信仰を育み、神の恩寵によって救済されることだけだ」と)。

彼がアシュラムをつくり、霊性を教える教育機関を設立するや、そこにはおびただしい数の信者が集まるだろう。

彼に出来ないことはない。
彼が知らないこともない。
それは神に備わる力であり、訓練の結果ではない。

この化身は、頭で理解することはできない。
経験することができるだけだ。

研究することもできない。
味わうことができるだけだ。

単なる視線、交わされたたった一言の会話が人を清める。
それはヴィシュヌ神に会うことに等しい。

尊神サティア・サイババの真実に気づいたとき、その人の解脱は近い》

以上が『真実のサイババ』からの抜粋であり、以下に、『大神格サイババ・アヴァター』の中に紹介されているものも補足として少しだけ紹介しておきます。

《すべての人はそのような清めを必要としている。
というのは、私たちがこの世に生まれてきたのは、過去世で数々の間違いをしたからである。
しかしこのような神性人格に触れると、その感化によって、欠点は自然になくなり、完全に消滅しさえもする》

《無神論は衰え始める。
インドは、再び良き時代へと移行し、現代のマハープルシャ(至高の神人) の影響が明白なものとなる》

《彼は偉大な真理を説き、それを聞く人の人間的弱さを笑うだろう。
今や、マハープルシャ、ビシュヌ神の化身としての彼の栄光の日は、私たちの間近に迫っている》

こうしたサイババに対するシュカの預言は、シャーストリ師によって解読されたもののほんの一部であり、その翻訳は完了していません。

サンスクリット語は、あらゆる言語の中で、最も完璧で、最もむつかしい言語と位置付けられていて、シャーストリ師は全編の翻訳を試みましたが、結局それを果たせないままにその人生を終えています。

『サイババ 神の降臨』という本の中には、これとは別のヒンドゥー教の聖典や、イスラム教の開祖であるムハンマドが述べたとされる伝承書『光の海』13巻の中にも、サイババに゙関する予言と受け取れるような、興味深い記述があることが紹介されています。

以下は、『光の海』13巻の中にあると紹介されている、後の世に現われるであろう「偉大な教師」の印が書かれている部分の抜粋です。

《彼の髪は豊富だろう (注釈・実際その通りでした)》
《彼は髭を生やしておらず、きれいに剃ってあるだろう (注釈・注目すべきは、サイババ様が実際そうだったというだけではなく、ムハンマドがイスラム教の開祖であるにもかかわらず、その人物を、イスラム教徒では基本的にタブーとされている髭を剃った人物として予言していることです)》
《彼の頬にはホクロが一つあるだろう (注釈・実際にサイババ様にはそれと分かるホクロが一つあります)》
《その服は炎のようだろう (注釈・サイババ様のローブは炎に最も近いオレンジ色です)》
《彼は背が低いだろう (注釈・実際その通りでした)》
《彼の足は娘のように細いだろう (注釈・実際その通りでした)》
《すべての宗教のすべての教えが誕生の時から彼の心にあるだろう (注釈・実際その通りでした)》
《その世界の師は、その肉体から、口を通して物を出すだろう (注釈・サイババ様は、マハシヴァラトリの時に、宇宙を象徴するリンガムという卵大の物質を体内で形成して口から出されていました)》
《彼を見るすべての人の目は、幸せになるだろう》
《彼は二つのローブを着るだろう  (注釈・サイババ様は、オレンジと白の二種類のローブを着ておられました)》
《彼は九五年か九六年生きるだろう (注釈・サイババは西洋暦でいうと八四歳で亡くなられましたが、インド暦・太陰暦で計算すると九六歳で亡くなったことになります)》

ヒンドゥー教の聖典『プラーナ』には、ビシュヌ神が過去に九回人類を救うためにインドに化身していて、最後の化身が、カリユガに化身するカルキ アヴァターであり、それがサイババであると信じられています。


過去の化身で最もインドの人々に人気が高いのが7番目の化身ラーマであり、8番目の化身クリシュナです。


そしてサイババ様は、ラーマもクリシュナも、自分が化身として取った過去の姿だったと仰っていてこの二人の化身についての、失われた真実を含む膨大な御講話を残しておられます。

プラーナの中にある、カルキ アヴァターについての記述は以下のようなものです。

《十番目の大アヴァター(カルキ)は、白馬にまたがって天上に現れる》
《そのアヴァターは血のように赤い服を纏い 『真理』 と言う名前を持っている》
《そのアヴァターは、権力の座にある人が腐敗した時、人類を救済するために、人類に奉仕する人として降臨する》
《純白の衣を着けた無慮無数の心正しい人々が彼に従い、彼は、地上の善き人々に平安と安全と喜びをもたらす》

そして、不思議なことに、新約聖書のヨハネの黙示録・第19章にもこれと極めて似通った記述があるのです。

《また、私が見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。
それに乗っている方は 「忠実で真実な者」 と呼ばれ 『義によって裁き」 また、戦う方である。
その眼は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった(注釈・サイババの髪の毛を、冠に見立てる人は多い)。
また 「彼以外には誰も知らない名」 がその身に記されていた(注釈・サイババと言う名前は、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の使う二つの語句の合わさったものであり、サイババ以前では誰も使ったことのない誰も知らない名前だった)。
彼は『血染めの衣』を纏い、その名は「神の言』と呼ばれた(注釈・神の言葉は真理であり、サティヤもまた真理を意味している)。

天の軍勢が 「純白で、汚れのない麻布の衣を着て」 白い馬に乗り、彼に従った(注釈・彼の帰依者は皆、アシュラムでは、麻布ではないものの純白の衣服を着ている)》
                      (新約聖書のヨハネの黙示録・第19章より)

(転載ここまで)


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・・さて、このブログは、村山さんという、60歳のサイババの帰依者の方が書かれています。

村山さんは、サイババのアシュラムに15回ほど行かれているそうです。その話を書かれているところを転載させていただきます。

「私はこれまで、サイババのアシュラムには、15回ほど行っています。
一回の渡印でサイババのアシュラムの中で生活していたのは、短くて一週間、長い時だと40日程度だったので、合計すると200日ほどです。

そうした日々の中で、様々な (自分の中では奇跡と思えるような) 体験をしてきていますが、そのほとんどは目に見えない内面的、示唆的、あるいは霊的なもので、物質化と言われるようなものは一度も (至近距離では) 見たことがないし、インタビューも受けたことがありません。

しかし、それを残念に思う気持ちもありません。
なぜなら、私には元々、そうしたものを望む気持ちも、そうしたことを体験した人たちを 『うらやましい』 と思う気持ちもなかったからです。

それがなぜかと言うと、物質化と言われる奇跡については 「私はそんなものは見たくありません。だから私には見せないでください!」 と私がインドに行くまえにあらかじめサイババに祈り、願っていたことであり、そうした奇跡現象というものは、サイババが誰であるかを理解できていない人々に与える名刺であって、すでにそれを知っている自分には 「必要ないこと」 だと思っていたからです。

そうした現象を見せつけられれば、興味のなかった人間でも、心惹かれ、必ず興味を持ち始めます。

そして私には、そうした奇跡への興味は、自分の霊的進歩には必ず害を及ぼすであろうことが (前世で陥った過ちの記憶のようにして) わかっていました。
だからこそ、そうしたものにかかわることは避けたかったのです。
 
私が欲しかったのは、そんなものではなく、あくまでも 『真理』 でした。

ババはその願を叶えてくださり、私の目の前でペンダントを物質化された時も、強度の近視である私がメガネをはずさなければならないような状況を事前に作り出しておいて (その時私は、急きょサイババの前で披露される劇の中で、サイババの降臨に立ち会うブラフマー神の役をするように仰せつかり、数千人の観客を前に舞台に立っていたのです。神様役なので眼鏡をしているわけにはいかず、メガネをはずしていて) 私にはそれが見えないようにしてくださいました。

インタビューもまた、多くの人が望みますが、私は望んでいませんでした。
なぜなら、サイババに聞きたいことは何もなかったからです。

私が欲しかったのは、あくまでも、自分をサイババの帰依者として真に相応しい人間に作り変えてもらうことであり 「自分が誰なのか?」 を真に悟るための 『真理』 でした

サイババに10年以上もかかわっていれば、サイババのインタビューを受けたり、物質化などの様々な奇跡を体験したり、側近と言われるような立場で深くかかわってきた人たちとも知り合います。

そうした人々を見て分かったのは、そうした人々の中に、いかにサイババの真実を (あるレベル以上に) 理解している人が少ないかということであり、私が欲しいと望んでいるものを手に入れている人がいかに少ないかということです。

そして、そうした人々に限って、そうした体験に過大すぎる価値を見出し、真実を見失っていたりしました。

そうした人々を目にするたびに私が思ったのは 「そんな体験なら、私はいらない!」 ということです。

もっとも、「私もそうした体験をしてみたい!」 と渇望するような体験もありますが、それは極めてまれであって、日本人が体験したものの中には存在しません。

多くの場合、人がサイババから与えられている奇跡というものは、唯物論の中にとどまっている人々の固定観念の檻を打ち砕き、この世の真実が唯物論の中には存在しないことを悟らせ、より深遠な真実の探求に導くためのものであって、すでにその探求の道を歩き始めている人間には必要のないものです。

少なくとも、それが私の考えであり、確信です。

(サイババが起こして見せる物質化や、難病の治癒、運命の改善といった奇跡と呼ばれるものは、サイババの真の実体に隠されているものの価値からすれば取るに足りないような、些細なものであり、それに目を奪われすぎるべきでも、重きを置くべきでもない、ということはサイババご自身が常に仰っていることであり、サイババの教えの根幹をなすものです。

しかし、それでもなお、それを実際に体験した人々には圧倒的なものとして映り、心を惑わします。

そのため、もっとも古くからの信者で、何十年もの間アシュラムにサイババとの個人的な関係を持ちながら暮らしている人々の中にも、灯台下暗しのようにして、物理的に遠く離れ接触を持たずにく暮している信者より、サイババの真の本質や価値を見失っている人々が多くいることをサイババは警告されています。

それだけでなく、アイザック・タイグレットもまた、自分が15年間アシュラムに通い続けたにもかかわらず、一度も声もかけられず、目も合わせてもらえないまま、サイババから無視され続けたのは、神の化身としてのサイババの物理的な姿が、マーヤとして自分の霊的進化の邪魔にならないようにする、最大の恩寵だった」 と述べています。

「だから、サイババに会えない人も、そのことを悲しむべきではなく、逆に幸運だと喜ぶべきだ」 と、2009年にダラスで行った講演の中でアメリカの信者たちに告げています)

したがって、私は 「そうしたものを望む自分ではありたくない」 と思って、それを拒否していたのです。

しかし、それでもなお、私が望む望まににかかわらず、私もまた、サイババによって多くの奇跡体験が与えられてきました。
他の人たちが経験してきたものとは、全く違った形で・・・。

そうしたことにつて、これから少しづつ書いていこうと思っています。
お付き合い願えれば幸いです。(転載ここまで。太字、青文字にしたのは私です)

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物質化と言われる奇跡
について 「私はそんなものは見たくありません。だから私には見せないでください!」 とインドに行くまえにあらかじめサイババに祈っておられ、その願いの通りにサイババが叶えてくださったというのが興味深かったです。

(私も、物質化には正直あまり興味がありません。「見せないでください」と祈るほどではありませんが。でも、そのようなシッディ(神秘力)は、神と一体となるのを遅らせるので、最高のヨーガ(輪廻転生からの解放)を実践するものにとっては障害になると、賢者にはみなされているようです。)

また、プロフィールには、

「30代の終わりに、本でサイババを知り、その瞬間から、一切の知人との連絡も、社会とのかかわりも断つようにして、一人アパートの一室にこもり、一日4時間から6時間、平均して5時間前後の瞑想を一日も欠かさずつづけるような生活を5年以上続け、インドの聖賢、聖者、聖典などの書物も読みあさる。
(瞑想とはいっても、蓮華座を組んで目を閉じたまま、不動の姿勢でただ座っているだけで、厳密にいえば瞑想のまねごと。真の瞑想とはゴールのことであって、その過程を瞑想とは呼べない))

その間に、肉、魚、卵、およびそのエキスの入ったものを一切飲食しないヴェジタリアンとなる。

長時間の瞑想だけはその後も続けるが、インドにサイババを訪ねたことをきっかけとして、社会とのかかわりは徐々に取り戻していく。

その前後のことを、たぶん、これからブログに書いていくことになる(はず、予定としては・・・)。」

と書かれています。

ちなみに、聖地パタルでの体験などが書かれた記事も載っていました。

http://ameblo.jp/sairamu31baba/entry-11995840705.html
(↑聖地パタルでの体験記1)
http://ameblo.jp/sairamu31baba/entry-11997075186.html
(↑聖地パタルでの体験記2)
http://ameblo.jp/sairamu31baba/entry-11997939845.html
(↑聖地パタルでの体験記3)

この、体験記3、興味深かったです。こんなこともあるのですね。

ありがとうございました♡

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